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2005年9月12日 (月)

ガキ大将と秀才のケンカ ~衆院選雑感~

 先の衆院選は予想以上の自民党圧勝で終わった。自民党の勝因や民主党の敗因は既にいろいろと言われているが、ここではそのこと自体にはあえて立ち入らない。私が言いたいのは、選挙戦での小泉氏と岡田氏の舌戦は、さながら「ガキ大将と秀才のケンカ」のような印象を受けたということである。

 大人の議論には様々なルールがある。例えば「感情的にならない」「議論に無関係な人身攻撃をしない」といった基本的な態度から、「相手の質問に対して論点をずらした答えをしない」「個別のことを取り上げて一般的なことであるかのようにすり替えない」などといった論理上のルールなどに至るまで、仮にも学問や文筆を業とする人なら当然身につけていなければならない常識である。何かと悪名高い「2ちゃんねる」でも、こうした議論のルールが「詭弁のガイドライン」としてまとめられている。いま抜粋すると、

 「犬ははたして哺乳類か」という議論をしている場合、あなたが「犬は哺乳類としての条件を満たしている」と言ったのに対して否定論者が…

 ・事実に対して仮定を持ち出す
   「犬は子供を産むが、もし卵を生む犬がいたらどうだろうか?」
 ・ごくまれな反例をとりあげる
   「だが、時として尻尾が2本ある犬が生まれることもある」
 ・資料を示さず自論が支持されていると思わせる
   「世界では、犬は哺乳類ではないという見方が一般的だ」
 ・一見関係ありそうで関係ない話を始める
   「ところで、カモノハシが卵を産むのは知っているか?」
 ・陰謀であると力説する
   「それは、犬を哺乳類と認めると都合の良いアメリカが画策した陰謀だ」
 ・自分の見解を述べずに人格批判をする
   「犬が哺乳類なんて言う奴は、社会に出てない証拠。現実をみてみろよ」
 ・レッテル貼りをする
   「犬が哺乳類だなんて過去の概念にしがみつく右翼はイタイね」

等々といったことは「詭弁」であり、議論ではやってはならないというわけである。

 ところが子供のケンカはそうではない。子供が口ゲンカを始めたら、ルールなど何もあったものではない。筋が通っているかなど二の次三の次、詭弁、言い逃れ、悪罵のオンパレードであり、形勢不利な側がつい手を出して取っ組み合いに発展することも珍しくはない。

 故にガキ大将と秀才が口ゲンカをしたら、勝つのはたいていガキ大将である。ガキ大将の多くは腕っぷしが強いだけではなく、悪口の天才であり、詭弁も言い逃れもお手のものである。お上品な秀才がいくら筋を通しても、いつの間にか相手の詭弁につられて言葉に詰まったり、揚げ足を取られてしまったりする。子供のケンカは「声が大きい方が勝ち」「無理を通した方が勝ち」なのである。

 さてマドンナ刺客だホリエモンだと見世物を仕立てて、郵政郵政と叫び続けた小泉氏と、その「郵政一点張り」に揚げ足を取られてもなお一途に理に訴えようとした岡田氏と。結果は小泉氏の勝ちであった。が、私には議論に勝ったのではなく、子供のケンカに勝ったようにしか見えない。そして選挙民がまじめに議論を吟味するのではなく、子供のケンカを面白がってはやし立てながら投票したのだとすれば、何とも情けない話ではないか。

 (なお誤解のないように言っておくが、私は岡田氏を支持しているわけではないし、民主党支持を訴えているのでもない。あくまで印象を語っているだけである。)

 ところでガキ大将はいつまでも大将でいられるわけではない。大人になれば自然に卒業するものである。大人には大人のルールがあるのだから当然のことであろう。だとすると一国の宰相を選ぶ選挙で「ガキ大将」が勝利するとはいったいどういうことであろうか。

 ここまで考えて思い至るのは、子供の世界からガキ大将はとっくの昔に消えているということである。ガキ大将は他の子供たちにとっては粗暴な厄介者であると同時に、頼もしい存在でもあったし、羨望の的でもあった。あるいは子供のうちにそのような存在に出会えなかった人々が、今になって政治の世界に出現した「ガキ大将」に熱狂しているのではあるまいか(自民党に投票した人がみなそうだとは言わないが)。だとすれば臨床心理学や社会学の専門家が指摘する、社会全体の幼児化や日本人の知的衰弱とも軌を一にする現象と言えそうである。ぜひ今後の研究を待ちたいところである。

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