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2005年12月 3日 (土)

研究と「研究ごっこ」の境

 『武蔵野文学』53号が手元に届いた。この雑誌は国文学の研究書を多く手がける武蔵野書院が発行しているもので、一応論文も載っているが新刊書の広告雑誌のようなものであるし、普段はざっと目を通しただけで捨ててしまうのだが(何せタダだから)、今号の論文には目を引かれたタイトルが一つあった。

 それは福嶋健伸氏の「『狂言のことば』と現代韓国語の意外な類似点」。トンデモウォッチングが半ば趣味になってしまっている私は、「こんなところにまでトンデモ論文?」と色めき立ってしまった。単に語感が似ているというだけで「○○語のルーツは××語」と決めつける「研究」は、いわゆるトンデモ「研究」(私は「研究ごっこ」と呼んでいる)の定番テーマだからである。しかも福嶋氏の肩書きを見ると「実践女子大学専任講師」とあって、立派なプロである。本当にそんな人がトンデモなことをやるのだろうか……と、半信半疑でこの論文を読んでみた。

 私は韓国語は少しかじったことがあるとはいえ、韓国語学を論じられるほど深く学んだわけではないし、日本語学についても素人であるから、この論文の結論自体の当否については論評する資格はない。しかし確実に言えるのは、これは「研究ごっこ」ではなく、まっとうな研究だということである。

 この論文は何について論じたものかというと、中世日本の狂言台本に初めて現れてくる「~タ」式の過去形が、しばしば「~テイル」という状態を表すことがあり、また動詞の基本形も「~テイル」という状態を表すことがあるが、現代の韓国語にもそれと同じ用法が見られることを指摘したものである。つまり語の機能の類似性を指摘しているのであって、「kennelは『犬寝る』という日本語から来たものだ」式の単純な語呂合わせとは全く似て非なるものである。またそうした現象が生じる要因についても、言語学上のこれまでの知見をきっちり引いた上で論証しているし、何より著者はあくまで類似性を指摘するだけであって、それ以上のことには先走っていない。もしこれが自称「研究家」だったら、きっと興奮して「現代韓国語のルーツは中世日本語だ!」と声高に唱えることであろう。

 つまりこの論文は結論の当否はともかく、「これまでの研究を踏まえた上で、根拠を挙げて論証する」「根拠から確実に言えることだけを慎重に言う」という学問のルールにきっちりのっとっているのであり、「研究ごっこ」とは一線を画する至極まっとうな研究なのである。

 一方でこれと対照的な「研究」が『学士会会報』2005年5号(No.854)に載っている。「『隋書俀国伝』から見える九州王朝」と題する論文である。著者のT氏は東大法学部出身で、専門の研究者ではなく、日本史や中国史を専門的に学んだ経験はないようで、アマチュアの考古学研究会に入って趣味で日本古代史を研究しているらしい。

 T氏の論文は古田武彦氏の唱える「九州王朝説」の正しさを傍証しようというのがその目的であり、奈良時代の僧行基が作ったと伝える「行基図」がもとになったとされる明の「混一疆理歴代国都之図」(1402)では九州が横長の形に描かれており、『隋書』倭国伝(『隋書』の原本は「俀」に作る)には「東西五月行、南北三月行」と、東西の方が所要時間が長く書かれることから、俀国とはまさに九州のことを言っているというのがその骨子である。

 しかしこの論文を一読すれば、T氏は古典中国語(漢文)や中国語学については全くの半可通であることがすぐにわかる。まず『隋書』倭国伝の「倭」の字が原本では「俀」となっているのにこだわって、その読み方を「『隋書』は唐代の成立だから、宋代以後の漢字音である漢音で「タイ」と読まずに、唐代以前の漢字音である呉音で「ツイ」と読むべきだ」と主張する。しかし唐以前の固有名詞で日本語で呉音で読まれているのは隋の煬帝(ようだい)や唐の学者孔穎達(くようだつ)などごく少数にすぎない。もしそのようにこだわるなら、孔子は「くじ」、孟子は「みょうじ」、秦の始皇帝は「しおうだい」と読まなければならないことになる。固有名詞を呉音で読むか漢音で読むかは、単なる習慣にすぎないのであり、こだわるのは意味のないことである。その上T氏は『隋書』の文の原文も書き下しも示さず、国訳本に全面的に拠っている。これは完全なルール違反で、中国の古典を引くなら、漢文で書かれた原文を示すのは東洋学の常識である。

 しかしこうしたことはまだ枝葉のことであり、「T氏はアマチュアなのだから仕方がないではないか」と擁護する向きもあろう。本来は「学問」を名乗る以上は、そんな言い訳は通らないのだが、そこは目をつぶって、一番肝心なことに触れよう。

 まず「東西五月行、南北三月行」が、横長の九州という「奈良時代の地理観」に合致しているという主張であるが、これは日本古代史のプロでなくても「何か変だ」と気づかなければならない。そもそも九州の大きさは長崎から大分まで300キロ足らず、門司から鹿児島まで400キロ足らずである。もし東西に5ヶ月、南北に3ヶ月もかかるのなら、一日わずか2~4キロしか進めないことになる。いくら何でも遅すぎるとは思わないのだろうか。

 さらに決定的な反証もある。T氏が根拠とした地図は、あくまで「行基図をもとにした地図」である。しかしもとの行基図を見ると、あに図らんや九州はちゃんと縦長で描かれているのである。行基図の写真は地図学の入門書には必ず載っているし、ネット上でも簡単に見つけられる(こちらこちらなど)。第一行基図は「行基が作った」と伝えられているだけであって、14世紀初頭までしかさかのぼれず、実際に「奈良時代の地理観」を反映しているかどうかは保証の限りではない。これでT氏の主張の根幹は完全に崩れたと言えよう。

 T氏は東大を出て会社の取締役になるくらいだから、決して無能な人ではあるまい。簡単な割り算ができないわけはなかろうし、「混一疆理歴代国都之図」が探し出せて行基図が探し出せないはずもなかろう。にもかかわらずどうしてこんな杜撰極まる「研究ごっこ」をやらかしてしまうのだろうか。

 その原因として挙げられるのは、「思い込み」に対する免疫が十分についていないことである。人は「強烈な第一印象」に非常に弱い。恐らくT氏は偶然「混一疆理歴代国都之図」を目にした瞬間、そのゆがんだ九州の形が「東西五月行、南北三月行」という記事とがっちり結びついてしまったのであろう。

 ここでまっとうな学者なら、それに対して都合の悪いことがないかを慎重に考える。「混一疆理歴代国都之図」は行基図そのものではないのだから、まず行基図のできるだけ古いものを見ることを考えるだろうし、九州の大きさと『隋書』に記される行程の所要時間に矛盾がないかも検討するであろう。その段階で、「混一疆理歴代国都之図」が九州王朝説の根拠になるという仮説は棄却されてしまうのである。

 しかしこうした訓練のできていない人は、「強烈な第一印象」で一度こうだと思い込んだら、そのままどんどん突っ走ってしまう。都合のよい根拠だけを探し、都合の悪い事例は「見れども見えず」になってしまう。こうして自称「研究家」はスキだらけの詰めが甘い「研究ごっこ」を「画期的な新説」と称して発表するのである。T氏と福嶋氏の態度を今一度よく比べてみてほしい。

 「ひらめき」から一歩踏みとどまって、あらゆる角度からそれを検証するだけの慎重さを持ち合わせているかどうか。それに必要な基礎知識や教養を持ち合せているかどうか。ここに研究と「研究ごっこ」の境がある。

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