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2006年1月30日 (月)

偉大な凡人

 およそ世界の宗教は、その創始者を神や超人にまつり上げるものである。ところが儒教の聖人である孔子はそうではなかった。孔子には神になったとか奇跡を起こしたとかいう話は一切伝わっていない。孔子が目指したのは「完成された常識人」であり、儒教の最終的な理想は超人になることではなく、常識人になることなのである。それゆえ孔子はしばしば「偉大な凡人」と呼ばれる。

 去る1月24日放送のNHK総合「プロフェッショナル 仕事の流儀」を見ていて頭をよぎったのは、この「偉大な凡人」という言葉であった。今回出てきたのは洋菓子職人の杉野英実氏。菓子職人になろうと意気込んで就職したホテルではまともな仕事をさせてもらえず、やっとのことでフランスへ渡って苦労を重ねた結果悟ったのが、「当たり前のことが一番難しい」ということであった。

 菓子作りは材料選びや仕込み方から焼き加減に至るまで、寸分の狂いもない正確な作業が求められる。そうした地道な努力をおろそかにせず完璧に貫くことこそが難しいのだという。そしてそれは単なるルーチンワークではなく、よりよい味を求めて進化し続けなければならないのである。それを淡々と、だが見事にこなしている杉野氏はまさに「偉大な凡人」と呼ぶにふさわしい。

 学問も同じだ、としみじみ思った。難しい古典文献を読みこなすには、とにかく多くの書物を読んで修練する以外にはない。とても辛気臭く地道な仕事である。しかし当たり前の修練を当たり前にやらずして、学問は大成しないのである。

 そして学者は「生涯一学徒」である。「何もかも学んでしまってこれで終わり」ということはあり得ない。学者が大学で授業をするのも、学生に教育をするためだけではなく、自分自身の修練のためでもある。毎年同じ作業をただ繰り返しているように見えて、実は少しでも進歩すべく模索を続けているのである。杉野氏も「永遠の未完成でいたい」と語っていたが、ぜひ拳々服膺したい言葉である。

 一方でいわゆる自称「研究家」は、とかく地道なことを嫌う。当たり前の修練をすっ飛ばして、いきなり大それたことをやって注目を浴びようとし、「我こそは固定観念に縛られない自由な発想ができる天才」だと叫び立てる。しかし彼が拠って立つのはにわか仕立てでぐらぐらの砂上楼閣に過ぎず、悦に入っているのは本人(とごく少数の取り巻き)だけで、はたから見ればサーカスのピエロさながらの悲喜劇を演じる人がたくさんいる。

 こういう手合いには「いい加減に観念しなさい」と言うほかない。一からきっちり勉強すること。この当たり前の道を行かずして、志を得ることはかなわないと観念することである。「プロフェッショナル 仕事の流儀」もこの種の人々にこそぜひ見てほしい番組だと思う。

 偉ぶって「奇人」になるのは簡単だが、「凡人」に徹して偉くなるのは並大抵ではない。「当たり前のことが一番難しい」という杉野氏の哲学を、自戒の念も込めてかみしめたい。

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