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2006年3月16日 (木)

民主党メール問題の教訓

 民主党の永田代議士が「フリー記者」から入手した「3000万円振り込んで」メールをもとに、ライブドア事件に関連した疑惑を追及しようとしたところが、それが真っ赤な偽物らしいとわかって、かえって大失態を演じる結果になった。事態の推移を見守っていた人々の中には、「せっかく面白い政局になりそうだったのに」とがっかりした人も多かったことであろう。

 ここでにわか政治評論家になって、民主党や永田代議士を責め立てることはたやすいし、ウケをねらうなら「偽メールは本当は自民党の差しがねだったのでは?」などと陰謀論に走ればよい。しかし私はあえてそうせずに、ここに学問をする上での大事な教訓を読み取りたいのである。

 まず永田氏はメールを印刷した文書のコピーを見ただけで、あっさり本物だと信じてしまった。黒い噂の絶えない堀江容疑者と自民党との関係を何とか暴きたいと思っているところへ、渡りに舟のように「証拠」が転がり込んで来たのだから、信じたいと思うのが人情である。

 これは学問で言えば、いろいろな本をひっくり返しながら、わからない問題を考えていたところへ、ちょうどそれを解決できそうな記述が目に飛び込んできたようなものである。しかしそこで一も二もなく飛びついてしまってはいけない。ここで一歩踏みとどまれなければ、学者はつとまらないのである。

 永田氏の場合は、ここでひと呼吸置いて、それが信用できるかどうかをあらゆる面から検討すべきであった。少しでもメールの知識があれば、まずヘッダーを見せてもらうよう交渉すべきであっただろう。メールヘッダーには発信元も受信元も伝送経路も使ったメールソフトもちゃんと残るのだから、まずはこれを確かめることが、メールの真贋を確かめる第一歩である。そして堀江容疑者から発信された別のメールを入手して、そのヘッダーと突き合わせれば、偽物かどうかはかなりの程度判断できたはずである。永田氏やその周辺の人々は、メールヘッダーというものの存在すら知らなかったのではあるまいか。

 学問もこれと同じで、これだと思う根拠が見つかっても、それが確かなものかどうか、あらゆる角度から検討しなければならない。例えば歴史学なら史料批判、文学ならテキスト・クリティークといった作業である。自分が反対者になったつもりで、まさしく「自分の説を自分で壊す」ことによって、根拠として問題ないかどうか確かめなければ、学説は出来上がらないのである。

 こうしたことを行うには、その分野についての基礎知識や教養が必要になることは言うまでもない。無知な人が何かひらめくと、基礎知識というブレーキがない故にどんどん暴走してしまい、いわゆるトンデモ「研究」が出来上がることになる。永田氏もメールヘッダーについての知識がなかったために、暴走した挙句に自爆してしまったのであろう。

 知識や教養を身につけ、それをもとに根拠が本当に確かかどうか「裏」を取り、それを慎重に積み上げて論証する。学問だけではなく、どんな分野でも、情報を鵜呑みにせず裏を取ることの大切さは常々言われているはずである。ところがそうした努力をすっ飛ばして、自分の願望にかなった情報がテレビや本に流れてきたら、疑いもせず信じ込んでしまい、それに対する批判は一切耳に入らなくなる人が増えている。加えてインターネットの普及が、教養はENTERキーひと押しで身につくというお手軽な誤解の蔓延に拍車をかけている。大学でもいくら口を酸っぱくして「裏取り」の大切さを説いても、本やウェブサイトを丸写ししてわかったつもりになっている学生がごまんといる。こういう学生が悪徳商法のうますぎる話にも簡単に飛びつくのであろうし、トンデモ「研究」にもあっさり騙されるのであろう。

 永田氏を責めるのは簡単である。しかしいざ翻って自分自身はどうだろうか。「情報は鵜呑みにせず裏を取る」「都合のよい根拠は一歩踏みとどまって正しいか検証する」という態度がちゃんと身についているだろうか。それができなければ目くそが鼻くそを笑うようなものである。学問に携わる者として、今度の事件はぜひ他山の石としたい。

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