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2006年6月

2006年6月11日 (日)

もし「村上財団」を作っていたなら……

 ホリエモンに続いて村上世彰容疑者もとうとう捕まった。識者の中には「彼の罪だけではなく功績の方も公平に評価すべきだ」という声もある。それはその通りだが、私はやはり富豪というもののイメージをゆがめてしまった点で、彼らの罪は功績よりも小さくないと考える。

 かつての豪商や豪農は、洋の東西を問わず、文人や芸術家に援助したり、あるいは自ら芸術に手を染めたりするのが当たり前であった。シェークスピアの「ベニスの商人」を引くまでもなく、単に金をため込むだけでは「守銭奴」と軽蔑されたのであって、文化の育成に金を惜しまないことこそが、本当の富豪としての懐の大きさの証だったのである。もちろん彼らが何の見返りも期待していなかったわけはなく、自分の気に入る作品を作らせたり、社会的評価を高めて最終的には自分の商売の利益になるといった思惑はあっただろうが、ともかく彼らのそうした太っ腹が、社会に対する貢献になっていたとは言えるだろう。

 現代でも名だたる企業家なら、ロックフェラー財団や三菱財団などのように、利益の一部で財団を作って、奨学金を支給したり、文化活動・学術活動への援助を行っていることが多い。企業に有為な人材を育成したり、企業活動に役立つ研究を行ってもらうという意図はあるにしても、それが文化や学術の発展にもつながるし、企業のイメージもよくなるから、結局は「損して得を取る」ことになるし、わかりやすい形での社会貢献にもなるのである。

 翻ってホリエモンや村上世彰はどうだろうか。「稼ぐが勝ち」だの「お金儲けが悪いことですか」だのとうそぶく彼らに、文化に惜しみなく金をつぎこむ発想があったとは思えない。高級マンションに住んで美女をはべらせたりしても、それは文化を「消費」しているだけであって、文化を「育成」したことにはならない。ライブドアが新球団に参入し損ねたのも、村上ファンドがタイガースファンの総スカンを食ったのも、この「文化のなさ」を見透かされていた結果ではあるまいか。彼らは結局本物の富豪にはなれなかったのであり、それを「時代の寵児」などと持ち上げて、誤った富豪のイメージを刷り込もうとしたお歴々の罪も、決して小さくはないだろう。

 もし彼らが利益のほんの一部でも割いて、「堀江財団」や「村上財団」を設立していたら……。例えば「堀江奨学金」や「村上文化学術助成金」などを作って、学費が工面できず学業を断念せざるを得ないような学生に援助したり、財政難に四苦八苦している大学や博物館・美術館、あるいは資金難で危機に瀕している伝統芸能保存活動への援助を惜しまなかったとしたら……。社会の彼らを見る目も相当違っていたのではないかと思う。

 村上世彰も逮捕前の長広舌会見で「今後は慈善事業をやってみたい」などと言っていたが、本当にやる気なら小規模でもいいからぜひ財団を設立してほしい。「米百俵、米百俵」とナントカの一つ覚えのように繰り返しながら、文教予算を平然と削り続けるどこかの宰相よりも、よほど「お国のため」に貢献する事業であり、尊敬を勝ち得ることができるはずである。利益のほんの一部で汚名を返上できるのなら、こんな有利な「投資」はないと思うのだが。

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