« もし「村上財団」を作っていたなら…… | トップページ | ハチドリと精衛 »

2006年7月16日 (日)

ホレ信じなさい、ホレ信じなさい

 「子供の頃に見たあのテレビ番組、印象に残っているけれどもタイトルや細かい筋を思い出せない」といったことが、年齢を重ねるごとに増えていく。こんな時、昔ならとても調べようがなかったことでも、今ではインターネットを使えばすぐに情報が出てくる。いい時代になったものだ。

 私が子供の頃の人気テレビ番組と言えば何と言ってもウルトラマンシリーズであった。子供のこととてストーリーなどまるで頭に入らなかったが、今でも強烈に覚えている場面はいくつもある。中でもこの頃頭について離れないのは、ウルトラマンエースに出てきたヤプールである。例によってストーリーはほとんど覚えていないが、「ホレ信じなさい、ホレ信じなさい」と人々が踊り狂っている場面だけがなぜか頭に残っているのである。

 これがどうしても気になるので、ネットでストーリーを調べてみたら、思いのほか「深い」物語であった。買い物客でにぎわう商店街に、ある日突然仙人のような風体の老人が現れ、「わしは汝らに警告する! 末世はまさに近づいておるぞ!」と説法を始める。やがて老人は

「おまえは神を信じなさい、ホレ信じなさい、ホレ信じなさい。
 おまえは俺を信じなさい、ホレ信じなさい、ホレ信じなさい。……」

と歌いながら踊り始め、その場にいた子供たちが「ホレ信じなさい」と踊りながらハーメルンの笛吹きよろしく彼について行き、姿を消してしまった。その後日本や世界の各地で「ホレ信じなさい」踊りを踊りながら老人と一緒に子供たちが消えてしまう事件が続発し、やがてそれが地球人根絶をたくらむ異次元人ヤプール星人のしわざと判明、かくてエースの出番となる……という話である。

 老人は子供たちを洗脳するために、公害で汚れた海や乱開発で荒れた山のイメージを見せながら

「海は青くない、まっ黄色だ! 山は茶色だ、山は死んだ!」

と子供たちに唱えさせる。危機感をあおって信じ込ませる。まさにカルト教団の洗脳の常套手段である。

 洗脳とはいかに行われるか、妄信がいかに危険か、そして危機に直面して恐怖にかられたその時こそが地獄の一丁目であることを子供たちにわかるように伝えることに、この物語の作者のねらいがあるのは明白であろう。当時の私には残念ながらそこまで理解はできなかったが、しかしその恐ろしさだけはしっかり印象に残ったのだから、作者としてはそれで十分だったかもしれない。昔の社会では老人が子供たちに神話や昔話を語って聞かせたものだが、これも生きていく上で直面する様々な困難と、それへの対処の仕方を子供たちに無意識のうちに教え込む効果があったのであり、かつてのウルトラマンシリーズも、そういう役割を担っていたのである。

 ところでこの「ホレ信じなさい」、ある程度以上の世代の人なら、元ネタが何かすぐにわかることであろう。そう、ハナ肇とクレージーキャッツの「学生節」である。私はクレージーキャッツをリアルタイムで知っている世代ではないから、この元ネタを知ったのはもちろんずっと後になってからである。軽妙な節回しに手拍子を入れながら「ホレ信じなさい、ホレ信じなさい」と繰り返すこの歌も、おちゃらけたように見えて実は何とも意味深長な歌であり、よく聴いてみれば今でも全く古びていないことに驚く。例えばこんな風に歌詞を変えてみるとどうだろうか。

一言文句を云う前に
ホレ国民よ ホレ国民よ
あんたの政府を信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい
ノドン テポドン こんにちは
平和憲法 さようなら
あんたの知らない明日がある
ホレ明日がある ホレ明日がある
どっこいここは通せんぼ
ここには入れぬわけがある
あんたの政府を信じなさい
ホレ信じなさい ホレ信じなさい

……ごく一部の単語を変えただけで、ほとんど元歌そのままである。それでも特に違和感もなく歌えてしまうところが何ともはや恐ろしい。これにヤプール星人といっしょに踊り狂う人々の姿を重ねてみると……(以下略)

 「学生節」には

柳は緑、花くれない 風が吹いたらナンマイダ

というくだりもあり、禅の境地がそこはかとなくにじみ出ている。学園紛争に明け暮れる学生にカリカリ来ている大人たちに

「喫茶去(まあ茶でも飲んでいけ)」

と言って気を静めさせようとしているかにも聞こえてくる。ちなみに「柳は緑、花は紅」は蘇東坡の「柳緑花紅真面目(柳は緑に芽吹き、花は赤く咲き誇るのが春の自然の本当の姿だ)」という詩句によるとされ(但し今伝わる蘇東坡の詩集には載っておらず、詩題は不明)、「世はそれぞれ、あるがままに」という禅語としてよく用いられる。

 太平洋戦争のさなかに「なべて世は事もなし」と泰然自若としていた永井荷風には及びもしないが、物騒なロケット花火を横目にナンマイダを唱えながら茶でもすすっている方が、下手にオタオタするよりはよほどましであろう。

 それにしても近頃は「学生節」のような含蓄に富んだユーモアにはとんと出会わなくなったし、ドラマの筋もすっかり浅くなってしまったような気がする。しかし良いものは時代を越えた普遍性を持っているからこそ良いのであり、どれだけ時がたっても不朽の価値を輝かせ続けるのである。

|

« もし「村上財団」を作っていたなら…… | トップページ | ハチドリと精衛 »