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2006年8月

2006年8月24日 (木)

ハチドリと精衛

 「ハチドリのひとしずく」という絵本が静かなブームを呼んでいるらしい。昨夜9時のNHKニュースで取り上げられていたが、もとは南米の先住民に伝わる昔話で、山火事で燃え盛る山に向かってハチドリがたった一羽で一滴ずつ水滴を落として火を消そうとし、他の動物がそれを笑うと、「私にできることをしているのだ」と言ったという、わずか17行の物語である。これに感銘を受けて、自分一人からでも環境保護に役立つことをしようと具体的な行動を起こす若者が増えているという。物語の全文はこちらで読める。

 長々とした理屈や説教よりも、素朴な物語の方がかえって人の心を打つものがある。代々受け継がれてきた神話や物語は、それだけの力を持っているからこそ大切にされてきたのである。古い物語の持つ力が今もなお失われてはいないことを再確認させられるような「ハチドリ」ブームである。

 ところで私がこの物語を聞いて真っ先に連想したのは、精衛という中国の伝説上の鳥であった。この鳥は戦国末期の空想的地理書『山海経(せんがいきょう)』に登場する。

 又北二百里、曰發鳩之山、其上多柘木。有鳥焉、其状如烏、文首、白喙、赤足、名曰精衞、其鳴自[言交]。是炎帝之少女名曰女娃、女娃游于東海、溺而不返、故爲精衞、常銜西山之木石、以堙于東海。
 また北へ二百里のところを、発鳩の山といい、その上には柘(やまぐわ)が多い。鳥がいて、その姿はカラスのようで、首に模様があり、白いくちばしで赤い足、名を精衛といい、その鳴き声は自分の名を呼ぶかのようである。これはもともと炎帝の幼い娘で名を女娃といい、女娃が東海で遊んだところ、溺れて帰ってこず、それで精衛に姿を変え、いつも西の山の木や石をくわえてきては、東海をそれで埋めようとしている。(巻三・北次三経)

東海で溺れ死んだ女娃が精衛の鳥に姿を変え、山から木や石をくわえて運んできては、東海に落として埋めようとしているという。あのハチドリ以上に果てしなく無駄な努力を続けているのである。

 このすさまじく壮大な物語は人々の感銘を呼んだ。六朝時代東晋の詩人陶淵明もこれに感ずるところ大きかったらしく、「読山海経(山海経を読む)」という連作の詩の中で次のように歌っている。

精衞銜微木 精衛は微木を銜(ふく)み
將以填滄海 将(まさ)に以て滄海を填(うず)めんとす
刑天舞干戚 刑天は干戚(かんせき)を舞わしめ
猛志固常在 猛志 固(もと)より常に在り
同物既無慮 物に同じて既に慮ること無く
化去不復悔 化し去って復た悔いず
徒設在昔心 徒らに在昔の心を設くるも
良晨詎可待 良晨 詎(なん)ぞ待つ可けん

――精衛の鳥は小さな木をくわえて、それで大海を埋めようとしている。形天の神は盾やまさかりを振り回し、激しい闘志をあくまでも燃やし続けている。(精衛は)他のものに姿がかわってもそれを気にすることもなく、(形天は)殺されてしまっても後悔することもない。むなしく復讐心を抱き続けているが、その願いがかなえられるよき日は待つあてもあろうはずはない。

刑天(『山海経』では「形天」)は『山海経』海外西経に見える神の名で、天帝と争って首をはねられ、常羊の山に葬られたが、乳を目に、へそを口に変え、両手に盾とまさかりを持って踊り続けたという。陶淵明は『山海経』では全く別の場所に出てくる刑天と精衛を一緒に並べて、ともにあくなき復讐心の象徴として用いている。精衛が東海を埋めようとしたのは、自分を溺死させた恨みを晴らすためだと解釈したわけである。

 陶淵明が詩人として高く評価されるにつれ、精衛の物語もますます人口に膾炙するようになった。今日では「精衛填海」といえば中国人なら誰でも知っているほど有名な話で、この物語を核として他の様々な神話伝説を織り込んだ、「精衛填海」という題のテレビドラマまで作られている。 

 陶淵明の解釈から、「精衛填海」はすさまじい復讐心を燃やしながら徒労を続けるたとえとして用いられることが多い。しかし元の『山海経』の文をよく見てみると、精衛がどんな気持ちで海を埋めようとしたのかは全く書かれていない(『山海経』に限らず、古代の文章は心理描写が極端に少ないものである)。

 では精衛はどうして小枝や石で海を埋めるなどという無謀かつ報われる見込みのない行動に出たのか。松田稔氏は精衛の伝説が後の時代にどのように人々に受け入れられていったかを詳しく考証しているが(『「山海経」の比較的研究』笠間書院、下編第二章)、精衛が東海を埋めようとした目的が「自分を溺れさせた恨みを晴らすため」であるのは自明のことと考えているようである。しかし『山海経』にそのように書かれていない以上、速断はできない。

 精衛の話が『山海経』に記録される前は、恐らく当地の人々がこの話を伝説として語り伝えていたことであろう。その話がひょっとすると自分の恨みを晴らすためではなく、「二度とこんな悲劇が起きないように」という利他の精神で、海を埋めるために自分にできることをするという内容であった可能性も、全く考えられないことはないのではないか。実際後の時代になると、「精衛填海」は復讐心とは関係なく、困難を恐れず堅固な意志を持ち、最後まであきらめないことのたとえとしても用いられるようになっているのである。

 もちろん『山海経』と南米の昔話に直接の関係があるとも考えにくいし、元の話は絶対にこうだと言いきることは誰にもできない。しかし「精衛填海」をあくなき復讐心の象徴と解することが許されるのなら、それを「あきらめずに人のためになることをする」という意味に解釈することもまた許されるのではないかと、「ハチドリのひとしずく」の話から思ったのであった。

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