「トンデモ原論」――人文系の「ニセ科学」対策
科学のようで実は科学ではない「擬似科学」で今最も注目されているのは「水からの伝言」であろう。学習院大学の田崎晴明氏が最近 「水からの伝言」を信じないでくださいというわかりやすい啓蒙サイトを発表されたので、どのようなものか知りたい方はこちらを見ていただきたい。
擬似科学(「ニセ科学」と呼ぶ人も多い)は相手にしないというのがこれまでの研究者の態度であったが、「水伝」は小学校で道徳の教材として使われるなど、自然科学の枠を越えた悪影響が目立つようになったため、さすがに無視を決め込み続けるわけにはいかなくなり、多くの学者が批判や啓蒙の活動を始めている。
私もトンデモ「研究」の見分け方・古代研究編というサイトをやっている関係上、この問題はずっと注視してきたが、啓蒙活動をする研究者と一般の人々とのネット上でのやり取りを見ていると、いろいろと考えさせられるところがあった。以下に何点か記しておきたい。
その1 「何のためにトンデモ批判をやるのか」をはっきりさせておく必要がある
「水伝」はその非科学性自体よりも、それが初等教育という場にまで進出してきたことの方が問題視されている。単なるトンデモなら放っておけばよいが、教育者の立場にある者がそれを簡単に信じ、道徳の教材として使おうとしたとなれば、長い目で見た被害は甚大だからである。
つまり「無視できなくなったら批判するが、人畜無害なら放置する」というのが、プロの学者の一般的な態度である。それも一つの見識であろう。大型書店に行けば自称「研究家」のいわゆるトンデモ本はまともな研究書と肩を並べて堂々と陳列されているし、ネット上のトンデモサイトはそれにもまして数多い。それをしらみつぶしに叩いても、トンデモの種は尽きず後から後から湧いてくるであろうし、労多くして功少ないことは明らかである。
しかしトンデモ研究は本当に人畜無害なのであろうか。昨今は専門家軽視の風潮が異常に高まってきているし、学者といえば「頭が固い」「小難しい理屈ばかり振りかざす」といったイメージばかりが先行しがちである。そしてネット上の情報をよく吟味しないですぐ鵜呑みにする人も増えている。一見したところ「わかりやすい」トンデモ研究が蔓延するには十分な環境がもう既に整っているといえるし、「学問とはお手軽なものだ。学者なんかもういらない」という誤解が蔓延するのはなおさら憂慮すべきことである。泥縄式に個別のトンデモを批判することとは別に、もっと一般的な 「トンデモ原論」即ち「どういうものをトンデモと呼ぶのか、どういう思考法がトンデモになるのか」ということをあらかじめ示しておくことは、決して無意味なことではなかろう。
それに個別のトンデモ批判だけだと、自分では頭を使わずに、何でもかんでも「専門家」に「これはトンデモです、あれもトンデモです」と断定してもらいたがる人が増えてしまうことも考えられる。これではトンデモの洗脳を抜けて科学に洗脳されただけであって、根本的な解決にはなっていない。どうしても頭を使うのが苦手な人なら仕方がないが、 頭が使える人にはちゃんと頭を使うように促すことが、「トンデモ原論」のめざすところなのである。私のページもそういうコンセプトでやっている。
その2 批判する側もやみくもにするのではなく、やり方を研究しなければならない
自らトンデモ説を発表してしまった人や、それに心酔している取り巻きを改心させるのはまず無理という点では、どの人も一致している。そこで「信じかかっている人や半信半疑の人」をターゲットにすることになるが、うっかりすると「学者は小難しい理屈ばかりこね回す」と、かえって彼らを離反させてしまいかねない。いかにして「理を尽くしながら平易に」 説くか。これは最近はやりのFD(ファカルティ・ディベロップメント=授業方法の開発研究)ともかかわってくるテーマであろう。無論私のページもまだ改善の余地は大いにあると思う。
その3 「相手の土俵に引きずり込まれない」ために細心の注意が必要である
トンデモさんは「学問のルールに縛られない自由」を持っている(と勝手に思い込んでいる)。だからこちらがルールを持ち出せば、向こうはルール自体を否定してくる。「科学は絶対ではないし、万能でもない。お前らのルールも絶対ではない」という、一般人ならつい乗せられてしまう、ごく一部には真理を含んでいる言い訳がどうしておかしいのか。単に「科学」を強調するだけでは、これに対抗することは難しいであろう。
まして人文系となると、そもそも実験はいらないし、見たところ「本を読んでピーチクパーチク言えばいいだけ」である。したがって真に厳密な実験で再現性を証明することを求めるという、自然科学のトンデモさんに対しては当たり前の手が、人文系のトンデモ批判では使えない。かわりに有効なのは基礎知識の欠如から来る誤解を突く方法と、 論理の矛盾を突く方法である。人文系といえども何を言っても許されるわけではなく、論理的・合理的・実証的な態度が求められるのは、自然科学と全く同じである。
しかし前者は自らの誤解を決して認めようとしない人には通用しない。「その基礎知識こそが誤りだ」と言い張られたり、「博識を振り回すな」と開き直られたりするからである。また後者も議論のルールを知らない人には通用しない。詭弁を詭弁とも思わず平然と押し通されるからである。
そして彼らには究極の武器がある。それは「一つの方法だけに固執するのはおかしい。学者は自分のやり方を狂信している。偉ぶって我々をバカだと決めつけるな」と、学問のルールそのものを否定してしまうことである。なるほどこれならどんな好き勝手なやり方でも押し通せるだろう。理不尽な要求をごり押しするヤクザが、抗議をはねつけるために口にする「お前そんなに偉いんかい」と同じ手口である。
こういったセリフを吐かれると、ひるんでしまう人も多いことであろう。しかしこれらは、実は人の謙虚さにつけ込もうとする卑劣この上ないセリフである。だから我々は遠慮なくこう言えばよい。
「少なくともあんたよりはずっと修業している分偉い」
と。
学問のルールは多くの学者が長年にわたって議論を積み重ねるうちに形成されてきたものであり、トンデモさんの主張するマイルールよりはずっと普遍性を持っている。要するにどんな世界でもそうであるように、
自分勝手や独り善がりは通らない
のである。相手の土俵に乗らなければならない義理などかけらもない。向こうが勝手に学問ぶって「類似商標」を掲げているのだから。
(もっとも一旦相手の土俵に乗った上で、そうするともっと不都合が生じることを指摘する「背理法」が有効な場合もある)
結局人文系のトンデモさん本人に対しては、ひたすら「好き勝手を言うな」とはねつける以外に有効な手段は見いだせないようである。 「真っ向から相手にしない」という、昔から行われているやり方がやはり一番なのである。但し一般の人々に対しては、「どうしてそのような手段を取るのか」という説明をどこかでやっておく必要があろう。 そうでないと「学者は頭が固い」とか「既得権を失うのを恐れて新説を認めたがらない」とかいう誤解が広まってしまうからである。
作家や画家のところにも、出版社やレコード会社にも、芸術家を志す人の作品が日々送られて来る。しかしよほどすばらしい出来でない限り、それらは無視される。どこがいけないかをいちいち説明して送り返すことはまずない。「それすら不可能なレベル」の駄作がほとんどだからである。こういう駄作を送り付ける人に限って、もし丁寧な説明などしようものなら、独り善がりな理屈を言ってしつこく絡みついてくることが多い。だからこういう手合いは無視するに限るのである。人文系の学問も(理系もそうだろうが)箸にも棒にもかからなければ無視されるのはこれと全く同じで、 「そんなに甘いもんじゃないよ」と声を大にして言っておくのが、少なくとも新たなトンデモさんを生まないことには資するところもあるのではないかと思うのである。
その4 熱くなりすぎない
人文系のトンデモさんの中に、悪意の人はあまり多くない。金儲けと言ってもせいぜい自費出版の本を売る程度のもので、多くの人はただ単純に「自分の発見したすばらしい真理を世に広めたい」あるいは「昔自分をいじめた先公どもを見返したい」という一心で活動にいそしんでいるだけである。大学教員の側からみれば、彼らは箔をつけたいがために「どうか認めてちょうだい」とすり寄ってきて、無視されれば途端にアカデミズムを罵倒し出す「困ったちゃん」ではあるが、政治的な悪影響を与えかねない場合や、広範囲に広まって教育現場にも影響を及ぼしているような場合でなければ、それらを個別に叩くのは、かえって大人げない行為のような印象を与えかねない。
しかも最近は斜めから世の中を冷笑するのがかっこいいような風潮が蔓延しているから、あまり使命感や正義感を表に出しすぎると、かえって一般の人々を遠ざけてしまう恐れがある。 「トンデモは皮肉や当てこすりで笑い飛ばす」 というのがやはり一番であろう。東海大学の春田晴郎氏のサイトはこの点とてもよくできていると思う。私もなるべく「笑い飛ばす」ことを心がけてはいるが、いかんせんギャグのセンスには乏しいので、なかなか思うようには行かないでいる。
その上啓蒙活動に力を入れすぎると、同業からも胡散臭い目を向けられるという、非常に厄介な問題もある。研究あっての啓蒙活動であるから、本来の研究もちゃんとやっておかなければ、「上をめざす志を失って、下ばかり見て安心するようになった」と陰口を叩かれかねない。学界には「批判するなら自分よりも大物を批判しろ」という格言?もあるのだから。
私のページも別に使命感や義憤だけで始めたわけではない。自分自身が神怪が多く登場する文献を研究テーマにしていることもあって、怪しげな人から問い合わせが来たり、論文が送り付けられてきたりすることが度々あったため、「いかがわしいことはやりません」という意思表示をしておく必要があるだろうという、ごく私的な思惑の方が大きい。だからこの活動を本業にするつもりはさらさらないし、組織立って何かやろうとも考えていない。トンデモ批判が自己目的化してしまうと、魔女狩りになってしまう恐れもあるのである。
結論
いろいろ並べてみたが、結局人文系の研究者としては、やはり各人がそれぞれの分野で「トンデモ原論」を何らかの形で公にしておくのが、啓蒙活動として、また教育活動としても現実的であるように思う(特に日本古代史や日本古代文学の人にはぜひやってほしい。人文系では恐らくトンデモさんが一番集中する分野だから)。とはいえそのためにわざわざ組織を立ち上げたりすれば、ケンカや対立のイメージをあおることになりかねないから、志ある人同士で緩やかに連携を保つ程度で十分であろう。
古代日本や古代中国を専門とする未来の研究者にとっても、大学に就職すれば「トンデモさんの襲来」は必ず経験することであるから、その場で当惑しないためのノウハウとしても、「トンデモ原論」はあった方がよい。
それに何よりも、社会学的・心理学的・文化史的に「トンデモさんの心性」を考察するのは人文系の研究者の得意分野のはずである。自然科学の「トンデモさん」への対処法にも、「トンデモ原論」はいくらか資するところはあるのではなかろうか。
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/113185/12824120
この記事へのトラックバック一覧です: 「トンデモ原論」――人文系の「ニセ科学」対策:
» ニセ科学と人文科学系戦略 [Chromeplated Rat]
こんなことを書いていたら、対ニセ科学戦略を考察しておられる中国文学者の方のページを見つけた。
そう、事は「世界を理解するためのメソッドとツールとスタンス」全体にわたる問題なのだ。
ところで、ずっと考えていたんだけど。
「やさしい悪魔」を聴かせて造った水の結晶はやはり醜いのだろうか。
「有り難や節」だとさぞや美しい結晶が出来る事であろうなぁ。
... [続きを読む]
受信: 2006年11月26日 (日) 23時13分
» 社会科学系の「擬似科学」対策 [H-Yamaguchi.net]
富山大学人文学部中国言語文化コースの大野圭介助教授のブログ「朴斎雑志」の最近の記 [続きを読む]
受信: 2006年11月28日 (火) 01時16分
» [トンデモ]トンデモは相手にしないのが基本、しかし・・・。 [すなふきんの雑感日記]
H-Yamaguchi.net〜社会科学系の「擬似科学」対策 経由 朴斎雑志〜「トンデモ原論」――人文系の「ニセ科学」対策 どんな分野でもそうだが、誰でも「畑違い」のことについては基礎知識の不足からどうしてもトンデモに嵌りやすい傾向があると思う。 あやしい商売や新興宗教へ... [続きを読む]
受信: 2006年11月28日 (火) 19時45分
» 「水からの伝言」まとめ2 [鴉工房]
前回、『「水からの伝言」まとめ』としたのだけど、まだ消化不良の部分もあり、まとめ... [続きを読む]
受信: 2006年11月29日 (水) 16時28分
» [メモ]人文社会科学系の「トンデモ」「疑似科学」対策 [インタラクティヴ読書ノート別館の別館]
http://puzhai.cocolog-nifty.com/zazhi/2006/11/post_7c05.html http://www.h-yamaguchi.net/2006/11/post_34fe.html ……みなさんはっきりおっしゃってないことがあります。社会科学者の中でも、経営学者と社会学者は、相対的にトンデモに弱い傾向があります。ああ……... [続きを読む]
受信: 2006年11月30日 (木) 17時34分
» 「ニセ科学」 ヽ(´~`;)ウーンわからない・・・ [気楽deブログ]
Excite エキサイト : 社会ニュース
マイナスイオン健康にいい 科学的根拠実はゼロ
ゲルマニウムブレスレットなどゲルマニウムグッズが健康によい!?
健康にいいという科学的根拠は無く、せいぜい『お守り』程度 ^^・。
ブームは全くのカラ騒ぎだそうですょ ・・・
「科学的な常識」と多くの人が信じていた事は誤りだって~・・・・ (Θ_Θ; ) ウ~
テレビゲームで遊べば「ゲーム脳」になる、もウソ
テレビゲームで遊べば「ゲーム脳」になる危険がある、という研究があるが・... [続きを読む]
受信: 2006年12月21日 (木) 21時17分
» 疑似科学化した社会科学の危機感 [The Black Crowes]
疑似科学者の傾向
懐疑論者のマーティン・ガードナーは、疑似科学者の傾向として五項目を挙げている。
・自分を天才だと考えている。
・仲間たちを例外なく無知な大馬鹿者と考えている。
・自分は不当にも迫害され... [続きを読む]
受信: 2007年2月 5日 (月) 08時58分

コメント
類似な意見ですが、僕は5回「なぜ?」ということを一つのトピックに投げかけます。
これで、答えられなかったらその説は「やり直し」、答えられれば「とりあえず、話を進めましょう」となります。
投稿 たまに仕事をすればこの体たらく | 2006年11月28日 (火) 17時17分
>たまに仕事をすればこの体たらく 様
コメントありがとうございます。
あまりに簡潔すぎて文意がわかりにくいのですが、「怪しいと思ったことに対しては「なぜ?」と5回考えて、答えが出なかったら却下」ということでよろしいのでしょうか。
すぐ鵜呑みにせずに立ち止まって疑う姿勢は大変結構なことなのですが、疑わなくていいことまで疑い出すと、これまたトンデモ説に足をすくわれる原因ともなりかねません。「過ぎたるはなお及ばざるが如し」です。疑うにせよ信じるにせよ、その判断のもととなるのはやはり教養であり、トンデモにはまる人にも教養をおろそかにしすぎた人が多いように思われます。
投稿 朴斎 | 2006年11月28日 (火) 23時21分
はじめまして、朴斎さん。ニセ科学批判者の中に入れて貰っている、化学分析技術者の柘植と言います。
いわゆる不具合解析などで言われる「5なぜ法」というのは、並列的「なぜ?」ではなく、直列的「なぜ?」です。「なぜ不良品が生じたか」「プレス機の圧力低下」「なぜ圧力低下が生じたか」「オイルフィルターの目詰まり」「なぜ目詰まりしたか」「スラッヂが多く発生して交換頻度が足りない」「なぜ、スラッヂは増加したか」「装置が老朽化しているため」とか追っかけると、対策として「プレス圧力ダイヤルをいじろう」という話ではなく、フィルターの交換頻度を上げようという対策になる訳です。
同じように、トンデモ説にも一段階や二段階の「こうだから」という理由めいたものはある訳ですが、その「こうだから」に対してさらにその根拠を尋ねると「話が星空に飛んでいく」事が多い訳です。
と、5なぜ法の解説めいたことをしてしまいましたが、今回コメントを書き込んだのは、ニセ科学批判を自然科学の立場のみでしている事の限界を感じていましたので、人文学的立場から取り上げていただいた事へのお礼を言いたかったのです。私は大阪大学の菊池先生のブログなどで議論しているのですが、どうしても「自然科学的な誤り」をより詳細に明らかにすることに議論が行きがちになります。たとえば「マイナスイオン」が科学的にトンデモである事は微に入り細にわたって議論してしまうわけですが、大手家電がそれをイメージ宣伝に使うことに対しては「良くないだろうね」程度で終わってしまう訳です。仕方なしに私はなけなしの知識をかき集めて「企業倫理、企業コンプライアンスからは」と書いてみたり、「情報の非対称性理論によると、このようなイメージ宣伝で情報の非対称性を増加させると、市場の失敗となる」とか話題を出して見るわけですが、あまり誰も乗ってこない訳です。
トンデモ説の蔓延というのは別に特定の分野のみの障害ではなく、広く人間の知性に対する障害となると考えています。そういう観点で、論理的考察をベースにする学問に携わるものが、個々にまた時に連携して対策することも必要なものだろうと考えています。
投稿 柘植 | 2006年11月29日 (水) 06時18分
柘植 様
コメントありがとうございます。
> いわゆる不具合解析などで言われる「5なぜ法」というのは、並列的「なぜ?」ではなく、直列的「なぜ?」です。「なぜ不良品が生じたか」「プレス機の圧力低下」「なぜ圧力低下が生じたか」「オイルフィルターの目詰まり」「なぜ目詰まりしたか」「スラッヂが多く発生して交換頻度が足りない」「なぜ、スラッヂは増加したか」「装置が老朽化しているため」とか追っかけると、対策として「プレス圧力ダイヤルをいじろう」という話ではなく、フィルターの交換頻度を上げようという対策になる訳です。
ていねいな解説ありがとうございます。よくわかりました。パソコントラブルの原因究明でも応用できそうですね。
> たとえば「マイナスイオン」が科学的にトンデモである事は微に入り細にわたって議論してしまうわけですが、大手家電がそれをイメージ宣伝に使うことに対しては「良くないだろうね」程度で終わってしまう訳です。
かつてウソ八百の「安全性」を明記していた洗剤を誤飲して死者が出た事件があったために、命にかかわるようなウソは監督省庁も真剣に取り締まりますが、マイナスイオン程度なら「それで人が死ぬわけではないし、健康被害が出るわけでもないのだから」となあなあにしてしまうのかもしれませんね。事なかれの省庁や営利企業の家電メーカーに期待できない以上、「マイナスイオンに科学的根拠はない」ということを折に触れて言い続けるしかないのでしょうか。
> トンデモ説の蔓延というのは別に特定の分野のみの障害ではなく、広く人間の知性に対する障害となると考えています。そういう観点で、論理的考察をベースにする学問に携わるものが、個々にまた時に連携して対策することも必要なものだろうと考えています。
全く同感です。ごく一握りの人しか高等教育を受けられなかった時代ならともかく、ほとんどの人が高校を卒業するのに、トンデモを見分けるだけの教養と知性が身についていないというのは大いに問題ありだと思います。せめて大学では「ものの考え方」をしっかり教育したいと思いますが、なかなか思うようにはいかないものです。
投稿 朴斎 | 2006年11月30日 (木) 00時14分
はじめました。
教育関係におります。「水からの伝言」というニセ科学が学校教育で使われてから、ニセ科学関係に関心をもっております。
ニセ科学の場合は、悪徳商法などに応用されたりして、大きな問題になりますが、文系に関わる「トンデモ」は、あまり実害が少ないのでしょうか、そのため、あまり耳目を集めにくいようにも思います。
ただ、学校現場で使われるとなると、無視できないと思っております。
ttp://www.sankei.co.jp/local/kanagawa/061127/kng001.htm
>『朝』という漢字は、『十月十日』と書く。そう、生命が母の胎内に宿ってから、この世界に誕生するまでの時を意味しているのだ。
早速、使っている校長先生もいます。
ttp://yamaiti.myswan.ne.jp/cgi-bin/topics8/topics8.cgi
単なる、比喩として使う分はいいと思いますが、いかが思われます?
投稿 ドラゴン | 2006年11月30日 (木) 19時32分
ドラゴン 様
コメントありがとうございます。
> ニセ科学の場合は、悪徳商法などに応用されたりして、大きな問題になりますが、文系に関わる「トンデモ」は、あまり実害が少ないのでしょうか、そのため、あまり耳目を集めにくいようにも思います。
「実害が少ない」ことのほかに、「人文科学も自然科学と同じ厳密さが求められる」ということが理解されていないということもあるでしょう。法則性のない場当たり的な読み方で古典を「解読」しようとしたり、単なる語呂合わせを「神秘的な符合」と思い込んだりするのは、ひとえに人文科学を甘く見すぎているからだと思います。
ttp://www.sankei.co.jp/local/kanagawa/061127/kng001.htm
> >『朝』という漢字は、『十月十日』と書く。そう、生命が母の胎内に宿ってから、この世界に誕生するまでの時を意味しているのだ。
>
> 早速、使っている校長先生もいます。
> ttp://yamaiti.myswan.ne.jp/cgi-bin/topics8/topics8.cgi
漢字を分解した格言なら「米という字は八十八と書く。米は八十八人もの手がかかっている大切なものなのだ」などのように昔からいろいろありますが、それが「たとえ話」だとわかる人(たとえば小学校高学年や中学生以上)に対して使うのなら目くじらを立てることでもないと思います。義家氏も恐らくたとえ話のつもりで言ったのであって、まさか本気でこれが「朝」の字源だと信じているわけではないでしょう(と思いたい)。
しかし校長先生の方は大いに問題ありですね。歌まで詠んで興奮しているところを見ると、どうやら本気で信じてしまっているようです。一番の問題は「漢和辞典には…(中略)…と書いてあるけど……」と言っているところで、漢和辞典に紹介されているちゃんと根拠のある字源よりも、根拠のない語呂合わせの方を信じたくてたまらないという態度を、教育者の立場にある者があからさまにするのは、非常に由々しきことです。これでは子供たちに「信じたいものを信じなさい。理屈や根拠なんかどうでもよろしい」と勧めているようなもので、ちょっと耳当たりのよいトンデモや悪徳商法にすぐ騙される子供を量産することになるでしょう。
教育者なら「人は願望にかなわない事実よりも、願望にかなったウソを信じる」という人間の「業」をもっと自覚しておく必要がありますね。
一方の義家氏も、たとえ悪意がなかったとしても、「生命の誕生」といった神秘的・スピリチュアルな味付けをしてしまったのは失敗ですね。今後もこれで「目覚めて」しまって、スピリチュアル的「字源」を「研究」しようとする人が続出するかもしれません。
投稿 朴斎 | 2006年12月 1日 (金) 13時23分
「朝は十月十日」に関して補足です。
これを真面目に受け取ってしまった人はやはりいたようで、Yahoo!知恵袋でこんな質問が出ていました。
http://chiebukuro.yahoo.co.jp/service/question_detail.php?queId=9016651
もっともすかさず正しい字源を解説してくれた人が多かったので少し安心です。
それから次のページは盲点を突かれた思いです。
http://blog.livedoor.jp/kitamichi/archives/19669655.html
よくよく考えたら「萌」という字も分解すれば「十月十日」になるのでした! だとすると「生命のパワー」を得るためにはみんなで「萌え系ヲタク」になろう! と言う理屈も成り立つわけで。
しかつめらしく本当の字源を説くよりは、こっちの方が目を覚まさせるにはいいかも知れませんね。
投稿 朴斎 | 2006年12月 2日 (土) 00時26分
朴斎 様
たいへん勉強になります。
義家氏も講演のために、話題提供として話した面もあると思いますが、気になるのは、受け手ですね。このニュースを書いた記者もこの部分に共感していますし、校長先生もそうでしょう。
>これでは子供たちに「信じたいものを信じなさい。理屈や根拠なんかどうでもよろしい」と勧めているようなもので、ちょっと耳当たりのよいトンデモや悪徳商法にすぐ騙される子供を量産することになるでしょう。
やはり一番心配なのは、こういうことですね。
自己啓発のブログでも漢字をもとにしたものがあります。
ここは悪徳かどうかは分かりませんが、悪徳なものに利用される可能性が、十分にあるということです。先の校長先生なんかは、簡単に引っかかりそうですね。
ttp://aaa.town1.net/040/
「萌」は、目から鱗です。単なる言葉遊びや比喩表現としては、漢字には面白い部分がありますね。
話は変わりますが、水伝の道徳を広めたTOSSという教育団体があります。
いろいろとトンデモ授業がありますが、ここの社会科の学習で、神話をもとに歴史の授業をしています。
私は、これもトンデモと思いますが、どのように思われますか。
ttp://homepage1.nifty.com/KONDO/sinwajyugyou2-amanoiwato.htm
ご意見をいただけたらうれしいです。
投稿 ドラゴン | 2006年12月 2日 (土) 14時54分
ます最初にお断りしておきますが、私は「トンデモ判定屋」を開業したくてこのような記事を書いたのではありません。あちこちからかき集めた例をただ単に「これもトンデモですか、あれもトンデモですか」と丸投げされては、こちらも対応しきれません。せめて「具体的にどういう点をどんな理由でトンデモと思ったか」ということくらいは説明していただけたらと思います。
さてTOSSについては私も天羽先生のページで知りました。授業方法の実践例を皆で共有しようという理念自体は結構なことですが、思い込みの激しい人がかなり混じっているためか、勇み足ばかりが目立っているようですね。
神話を授業で取り上げること自体については、私も全面否定はしません。小学校の段階では、単に昔話として鑑賞するならそれでよいと思います。しかしご紹介のページの例は、事実誤認が多い上に方向がずれているとしか言いようがありませんね。
申し訳程度に聖書を見せて「民族が違っても、大切なことは同じ」などと言いながら、後の方へ行くとひたすら「日本は他の国とは違う。日本はすばらしい」のオンパレードで、何のことはない、戦前の国定教科書の「日本良い国清い国、世界で一つの神の国」をオブラートで包んだだけの話です。
しかもその根拠たるや極めていい加減です。「国生み神話」は日本にしかないというのも単なる思い込みで、中国でも『淮南子』などに「何もない状態から混沌とした気が生まれ、それが固まって天地になった」という類似の神話がちゃんとあって、『日本書紀』の国生みの記述も実は『淮南子』の言葉を多く用いているのです。
「和=輪=環=倭、いずれも「わ」と読む、これはいろいろなものをそのまま受け入れ、一つにまとまることだ。」というくだりに至っては開いた口がふさがりません。訓読みと音読みをごっちゃにして「同じだ」と言っても、こじつけ以外の何物でもありませんし、国語の時間に音読みと訓読みの区別を教えているのはいったい何だと小一時間問い詰めたくなります。
この直後に
「明るい・開ける・上がる・赤など「あ」は外へ広がる響きがある。これは言霊といわれる。いい言葉を使えばいいことが表れ、悪しき言葉は悪しきことをまねくと信じられてきた。言霊信仰である。」
と書いてありますが、この一文自体に重大な矛盾があることにはお気づきでしょうか。「あ」は外へ広がる響きだといって例を挙げていますが、その直後にある「悪しき」も「あ」で始まっているではありませんか。では「穴」は?「アホ」は?「呆れる」は? などと突っ込み始めたらきりがないでしょう(第一「赤」がどうして外へ広がる響きなのかもよくわかりませんが)。ちょっと頭のいい子供ならきっと混乱を来してしまうでしょう。
言霊とは「願望や災いを口に出すことがそれを実現させる力になる」という原始信仰であって、語呂合わせを正当化することではありません。まして単純に「よい言葉」「悪い言葉」と色分けしてしまうのは、まさしく「水伝」と同じ発想です。
さらに「神話と歴史が連続している」も日本だけだそうですが、これは完全なウソです。中国の史書も同じで、『史記』も神話上の帝王である黄帝から始まっています。神の子孫として天皇家や出雲大社の宮司を例にあげたりしていますが、中国でも春秋戦国の諸侯や名家は皆祖先を神話上の帝王に結びつけています。残念ながら日本だけが威張れることではありません。
あまりにも突っ込みがいがありすぎて、結局長々と書いてしまいましたが、「ひいきの引き倒し」のいい見本といえますね。中国人がこれを見たらきっと「夜郎自大」と大笑いすることでしょう。ちょっと日本神話研究の論文の2、3本も読んでみれば、自分の考えがいかに浅薄かを思い知らされたことでしょうに。
前のコメントから繰り返しになりますが、「人は願望にかなわない事実よりも、願望にかなったウソを信じる」ということを、教育者ならもっと自覚すべきでしょう。
投稿 朴斎 | 2006年12月 3日 (日) 01時36分
朴斎 様
失礼いたしました。
朴斎様が、古代史のトンデモについても言及されていたので、おたずねしたしだいです。特に文系の分野については、なかなかトンデモについてコメントされている方が少ないので、よけいにご意見をうかがいたく思いました。
それにもかかわらず、詳細なご指摘を有り難うございます。
たいへん勉強になります。
>説明 つまずいたとき、どうしようか分らなくなったとき、光を再び向かえるにはどうすえばいいか「古事記」には示されているのです。今もその形が続いて、残されています。
この学習は、小学校の「社会科」です。道徳ではありません。それにもかかわらず、古事記や神話に教訓を求め、さらに「示されているのです」と断定しているところに問題があると考えました。教科としての「社会科」は、やはり正しい知識と歴史的認識を学ぶ場です。そこで教えられた内容は、正しいと思われてしまうでしょう。同じ物語でも「国語」で教えるのと「社会科」で教えるのとでは、意味が違ってくるかと思います。
そのように考えました。
私は、TOSSに反対する立場ですが、こういう事例はTOSSに限ったことではないのです。TOSSが飛び抜けてトンデモなので議論の対象としやすいのですが、先の校長先生のような事例が教育現場にはたくさんあります。
このようなトンデモを教育現場からできるだけ減らしたいと思っております。また、ご意見なりいただければうれしく思います。
投稿 ドラゴン | 2006年12月 4日 (月) 10時32分
ドラゴン さん、こんばんは。
> この学習は、小学校の「社会科」です。道徳ではありません。それにもかかわらず、古事記や神話に教訓を求め、さらに「示されているのです」と断定しているところに問題があると考えました。
これは私も承知しております。神話を社会科の中で教えるのは私ももちろん賛成しませんし、神話に対する理解が浅薄なままで子供に授業として教えるのはなおさら危険です。神話から古代人の考えを客観的に読み取ろうと言うならまだしも(それでも小学校でやるのは早すぎますが)、神話によって「日本は世界に一つのすばらしい神の国」意識を植え付けようというのは、それ自体が「神話を語るという宗教儀式」であって、もはや勉強とは言えないものです。客観的な視線をもたずに生半可な理解で神話に向き合うと、自身が神話に絡め取られてしまうのが、神話というものの恐ろしさなのです。
小中学校の先生の「トンデモさん」は、私の知る限りではやはり「不勉強」の一語に尽きると思います。自分の教える分野で、せめてちゃんとした学者の書いた一般向けの啓蒙書でもたくさん読んでいれば、こんな客観性のかけらもない授業をすることにはならなかったことでしょう。
ただトンデモさんにもプライドはあるでしょうから、トンデモ扱いしてむやみに敵対しようとしたのでは、かえって聞く耳を持たなくなるでしょう。たとえば専門の研究者に勉強会を開いてもらったり、大学のオープンクラスを受講したりなどして「皆で勉強してしっかりした教養を身につけ、授業の質をよくしよう」という方向に持って行くのはどうでしょうか。私も小中学校の現場を知っているわけではないので、的外れな意見でしたらすみません。
投稿 朴斎 | 2006年12月 5日 (火) 00時23分
今日の朝日新聞の、稲葉振一郎『ブログ解読』で、「『水からの伝言』を信じないでください」と一緒に、最後にほんの少しだけですが人文系トンデモ批判サイトとして紹介されておりました(どうも夕刊の記事とは違うようなので不可解ですが)。
とりあえず(?)、おめでとうございます。
>トンデモさんにもプライドはあるでしょうから
ちなみに、うちの親父の知り合いが↓このお方でして
ttp://www.rakuten.co.jp/net-poo/455225/507484/
レジュメを見たら、山陰に「除福(ママ)」が来てたらしいです。
「畑違い」「自費出版」「手法無視(画期的新手法開発)」「学会批判」
…と、非常に分かり易いトンデモ諸条件が勢揃いしております。
根底にあるのは「反皇国史観」のようですが、どちらにせよ、ですね。
もしかしたら、この人とリアルに会わねばならないかもしれませんので、
ヘンなこと口走りそうで、今から少々怖いです(笑)
そろそろ、「トンデモ批判」の批判者からも話題になりつつあります。
あまり無理をなさりませんよう(老婆心ですみません)。
投稿 gallery | 2006年12月13日 (水) 00時22分
gallery 様、お久しぶりです。
「水伝」自体を話題にしたかったわけでもないのに、「水伝」にちょっと触れただけでこれほどのことになってしまうのは、その影響の大きさの現れなのでしょう。朝日新聞の紹介も正直のところ困惑しています。
徐福についての私の考えは「見分け方」の方に書いたとおりで、それ以上付け加えることはありません。それにしても疑問なのは、伝説は伝説のままでも十分楽しめるのに、どうして「本当の話かどうか」にこれほどまでこだわるのだろうかということです。「伝説=虚構=無価値」という固定観念の根深さなのかもしれませんね。
この種の「研究」にのめり込んでいる人の話は、黙って聞き流しておくのが無難でしょうね。私も列車の中でたまたま同じボックスに座った年輩の女性のグループが「竹内文書」について話をし始めたのに驚いたことがあります。苦々しい思いをこらえながら黙って聞いていましたが。
> そろそろ、「トンデモ批判」の批判者からも話題になりつつあります。
> あまり無理をなさりませんよう(老婆心ですみません)。
お気遣いありがとうございます。私も「トンデモ批判」の方だけで有名になるのは本意ではありませんので、これ以上手を広げるつもりはありません。
投稿 朴斎 | 2006年12月13日 (水) 22時54分
知性や品性の欠ける文章は読むのが苦痛だ。我慢して読んだが。
それにしても「トンデモ」などという言葉は辞書に載っていないのだが、一体どういう意味なのだろう。
投稿 abcd | 2007年7月26日 (木) 08時49分