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2006年12月

2006年12月24日 (日)

人文系の研究者は神話やオカルトを信じるか ――あるいは「神話やオカルトとのつきあい方」――

 科学が世の中をバラ色にしてくれると誰もが信じていた時代はとうに過ぎ去った。そこで科学以外のものに救いを求めようとする人々も当然出てくる。救いや拠り所を求める相手として一番手っ取り早いのはやはり「神」である。既成宗教にいう神仏の場合もあろうし、新興宗教の教祖の場合もあろう。また魔術や占いのようなオカルトの場合もあろうし、それらをよりソフトに言い換えた「スピリチュアル」に傾倒する人もいる。

 彼らの中には神や霊魂の実在を認め、自然現象や社会現象を神が操っていると本気で信じたり、霊能者と称する人が「…… という現象は霊魂のせいだ。自分にはそれが見える」と言うのに対して何の疑いもはさまず熱狂する人も少なくない。

 しかし自然科学の研究者はいわゆる「霊能者による霊視」を本当のこととは認めないし、それ以前に自然科学の研究対象にはしない。なぜなら霊能者本人が「見える、見える」と言っているだけでは、霊の存在は「検証不可能」だからである。誰にでも見える形で、しかもトリックの入る余地のない厳密な条件で、「霊以外の原因は考えられない」と言える客観的な証拠を示すことに成功したと認められた霊能者はまだいないし、もし百歩譲って霊が実在すると仮定したら、自然科学の法則に照らして具合の悪いことがたくさん出てくることも、安斎育郎『霊はあるか』(講談社ブルーバックス)で指摘されている。

 神や霊魂を信じる人々も、そんなことはもちろん百も承知であろう。そこで自然科学そのものを「科学でもわからないことはたくさんあるのに、神や霊魂の実在を否定するのはおかしい」と攻撃したり、「科学では神や霊魂は実在しないが、スピリチュアル的なものの見方は科学とは異なるものだ」と、自然科学と同じ土俵に乗るのを避けたりする。

 前者のような主張に対しては、自然科学者の側から既にさまざまな反論がなされているから、ここで改めて取り上げる必要もないだろう。しかし後者のような主張をする人の中には、宗教学・神話学、あるいは精神分析などの人文科学なら、神や霊魂の実在を証明してくれるかのように思っている人もいるようである。ひょっとすると自然科学の研究者の中にも、宗教学者は神を信じているかのように思っている人がいるかもしれない。

 しかし結論から言うと、宗教学者も仏典や聖書に書いてあることをすべて真実だと思っているわけではないし、神話学の研究者も神話に書かれていることがすべて本当にあったことだと信じているわけではない。昔話や民話の研究者も、民衆の語り伝えた不思議な物語が本当に起こりうるとはもちろん信じていない。

 聖典や神話伝説の研究者の仕事は、それらに書かれていることの真偽を判定することではない(テキスト自体が後世の偽作ではないかという意味での「真偽」なら重要なことだが)。本当かウソかはひとまずおいて、その泥沼をエイヤッと飛び越えてしまうのである。 「昔の人々はそれを信じていた」という事実の方がずっと重要なのであって、 そのことが人々の思想や芸術、行動様式や社会にどのような影響を与えたかということが、研究者の一番の関心事である。だから話自体が本当かウソかは、有り体に言えば「どちらであろうと自分の研究テーマには影響しない」なのである。

 「霊能者による霊視」も、人文系の研究者なら「それが本当かどうか」にはほとんど関心を示さない。それよりも「霊能者と称する人々がいて、それを信じて有り難がる人々がいる」という事実をまず認めた上で、

  • 霊能者を信じて「癒やされる」心理はどのようなものか
  • 霊能者はどのような歴史的経緯で現れてきたのか
  • 霊能者の社会的地位や役割は時代とともにどう変わってきたか
  • 霊能者の語る霊視にはどのようなパターンがあるのか

といったことの方を解明しようとするのである。もしあえて「霊能者の言っていることは本当なのか」と人文系の研究者に尋ねたとしても、恐らく自然科学者と同じような答えしか返ってこないだろう。即ち「科学的にはウソでしょう」「それを決めるのは私の仕事ではありません」といった、ごく常識的な答えである。

 もしあなたの志望する、もしくは在学する大学に神話やオカルトを研究している先生がいたとしても、「江原某の主張が正しいことを証明したい」「言霊の現実性を研究したい」「陰陽師の方術は本当かどうか確かめたい」などといった動機で入門すれば、必ずや当てが外れることになるであろう。学問の世界では「お話」はどこまで行っても「お話」 なのである。「何だつまらない」と言う人もいるだろうが、「お話」は真偽にこだわらなくても、「お話」のままで十分楽しめるではないか。古代人のすさまじいまでの空想力に思いをはせるもよし、人の心の複雑怪奇かつ玄妙なメカニズムに驚くもよし。神話伝説やオカルトは事実でないから全く価値がないのではなく、「お話」としての価値をちゃんと持っているのであり、つきあい方次第で我々に豊かな心の糧を与えてくれるのである。

 また反対に、神話やオカルトを研究していると聞いて「怪しげなことをやっているのではないか」と引いてしまうのも早計である。授業で「布教」や「洗脳」をされるわけでもないし、「神話を信じなければ単位を出さない」などと脅されるわけでもない(もしそんなことをやっている先生がいたら、早くしかるべき所に訴えた方がよい)。神話やオカルトを「本当かウソか」「信じるか信じないか」というステレオタイプな次元ではなく、もっと別の観点から、突き放して客観的に考えてみることを学ぶのは、むしろ怪しげな言説に引っかからないための免疫ともなるはずである。

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