« 人文系の研究者は神話やオカルトを信じるか ――あるいは「神話やオカルトとのつきあい方」―― | トップページ | 水に芸術はわからない »

2007年1月 8日 (月)

沐猴にして冠するのみ

 財界のお歴々の年頭の発言が報じられてからというもの、16年も前の申年にちなんで作った七言絶句が思い出されてならない。

 当時はまだ修士課程の院生だったが、金はなくてもヒマはたっぷりあったので、手慰みで自己流の漢詩をひねっていた。 漢詩は短歌や俳句とは違って、単に字数を合わせればよいというものではなく、対句や押韻や平仄などややこしい規則がたくさんある。 だから初心者は詩語集や韻書と首っ引きになって何日もかけ、規則に合う言葉を探してパズルのように当てはめていくことになる。 詩情を催してその場ですぐ詩を作れるようになるには、相当な修練を積まなければならず、今では中国古典詩の研究者でも、 そこまでできる人は非常に少なくなった。私ももちろんできない。もしちゃんと人に習って訓練を続けていたなら、 いっぱしの詩人になれたかも知れないが、大学に職を得てからは詩作に時間を費やす心の余裕を失ってしまい、 結局手慰みのままで終わってしまった。これまで作った作品も、今までごく内輪にしか披露してこなかったが、 今度ばかりは腹にしまっておきかねるので、ここでご笑覧いただくことにする。干支違いは何とぞご容赦を。

  猿狙 (えんそ)
猿狙固無知足情 猿狙 固(もと) より知足の情無く、
唯婪樹果盗蕪菁 唯
(た) だ樹果を婪(むさぼ) り蕪菁(ぶせい) を盗むのみ。
貪賈爭覓目前利 貪賈
(たんこ)  争って覓(もと) む 目前の利、
疑是沐猴而緊纓 疑うらくは是れ沐猴
(もっこう) にして纓(えい) を緊(し)むるかと。

――猿にはもともと「足るを知る」という心などあるはずもなく、 木の実をむさぼり食ったり畑のカブを盗んだりするばかりだ。欲張り商人どもは争って目先の利益ばかり追いかけているが、 まるで猿のくせに冠のひもを締めているようじゃないか。

 この詩は確かリクルート事件に感ずるところあって作ったものと記憶するが、今でも全く古くなっていないどころか、 ますます新しくなっているようにさえ思うのである。

 最後の句は項羽が秦の都咸陽の宮殿を焼き払い、財宝と美女を分捕ってから、故郷に凱旋して見せびらかそうとしたところ、 ある遊説家が「人々は『楚人沐猴而冠耳 (楚人 沐猴にして冠するのみ=楚国出身の項羽は猿のくせに冠をかぶっているにすぎない)』と言っているが、やっぱりその通りだ」 とそしったという、『史記』項羽本紀に見える故事を踏まえる。

 狭量な項羽はこの言葉に激怒し、言った人を釜ゆでの刑にしてしまったというが、 こんな詩を詠んだくらいで釜ゆでにされるような世の中が来ないことを切に願うものである。ひと昔前なら一笑に付される杞憂だったが、 今は必ずしも杞憂ではなくなったことが悲しまれてならない。

|

« 人文系の研究者は神話やオカルトを信じるか ――あるいは「神話やオカルトとのつきあい方」―― | トップページ | 水に芸術はわからない »