そんなら、客でいたまえよ。――あるいは「学界とオーケストラ」――
学界に身を置く研究者は、論文を送りつけてくる自称「研究家」には、多くの場合無視するか、よくても儀礼的な挨拶、あるいは皮肉やほめ殺しで体よくあしらうことが多い。これに対して不平不満を抱き、学界への怨み言をたらたら吐き続ける自称「研究家」も数多くいる。
しかし学界と一般の人の関係は、実はオーケストラの団員と客の関係に似ている。
オーケストラの演奏会では、舞台と客席とは完全に分離されている。演奏するのは舞台の上の団員だけで、客はせいぜい拍手を送るか、曲によっては手拍子をするくらいである。お座敷や盆踊りのように、客も歌い手も一緒になって騒ぐということはまずない。
たとえどんなにすばらしい演奏の腕前を持っていたとしても、客でいる限り、勝手に舞台に上がって演奏することは許されない。 そんなことをすれば演奏会は台無しになる。そもそもオーケストラとはそれぞれの楽器が個性を発揮しながらも、 全体としての調和が取れた演奏をするものである。どんなに上手な人でも、オーケストラの中で好き勝手に目立とうとしたら、曲はめちゃめちゃになってしまう。だからオーケストラは一定のレベル以上の団員だけで演奏するのであって、誰でも好き勝手に飛び入りすることは許されないのである。
客は曲がすばらしければ盛大な拍手を送るし、つまらなければ席を立って帰るのも、次から聴きに来ないのも自由である。しかしどれだけ下手な演奏でも、「何だ何だ、俺様の演奏の方がよっぽどうまいぜ!」と舞台に乱入し、団員の楽器を奪い取って演奏する自由というのはない。そんなことをすれば間違いなく外へつまみ出されることになる。それを見て「この人だっていい演奏してるのに、団員も頭ごなしに決めつけずにもっと謙虚になってはどうか」などと言う客が果たしているだろうか。
どうしてもオーケストラの舞台に立ちたいのなら、厳しい練習を積んで団員になるか、それがいやなら自分で団を組んで演奏会を開くかどちらかになる。しかし後者の場合、ウィーン・フィルやN響と同じような注目を浴びることは当然無理である。せいぜい地元住民の間で評判になる程度の、分相応の注目で満足するしかない。
学界もオーケストラと同じで、一人一人の研究者はそれぞれ独創性のある研究をするけれども、学界全体としてはこれまで蓄積された学識との整合性がちゃんと取れているのである。その調和を乱すような研究、たとえば先行研究を全く無視したり、基礎知識を踏まえないままで、自分一人だけで思いついたことを好き放題開陳するような研究は、よい研究とは認められない。
もし研究者の発表する研究が気に入らなければ、その人の本を読まないようにするのも、批判するのも自由である。しかし自分が代わって「舞台」に立とうとすれば、学界からも、学問をわかっている「客」からも反発を買うのは当然である。学界が外部からの参入を容易に許さないのは、オーケストラと同じように、一定のレベルを保つことで、学問全体の調和を乱さないようにするためである。その代わり「客」を満足させられるだけのレベルの研究を提供できるよう、日々研鑽を積んでいるわけである。
学問で「舞台」に立ちたいという場合も、オーケストラの場合と同じことがいえる。「客」でいる限り、ブーイングを浴びせようと、本を地面に叩きつけようと、その行為自体を禁止することはできない。しかし「舞台」に勝手に乱入しようとする迷惑な「客」は、有無を言わさず閉め出さざるを得ないのである。研究者は自分の研究が学界全体に資するかどうかを考えて仕事をするが、自称「研究家」は自分だけが目立って賞讚されることしか頭にない。 自分一人のために学問そのものがめちゃめちゃになることなど想像もつかないのであろう。少なくとも彼らの言動を観察する限り、そうとしか受け取れない。こんないい了見の持ち主を喜んで「団員」に迎える「オーケストラ」などあろうはずはないし、そう考えれば「学者は素人の研究も頭ごなしに否定せずにもっと謙虚になったらどうか」などというのがどれほどナンセンスかはもう明らかであろう。謙虚や傲慢云々の問題ではなく、単に「ダメなものはダメ」 と言っているにすぎないのである。
どうしても「舞台」に上がりたいのなら、プロの研究者と同様に厳しい(独りよがりではない)研鑽を積むか、それがいやなら自分で学会を組織し、自分で雑誌を発行して「舞台」をこしらえることである。但し本物の学会と同じように注目されることなど当然期待しない方がよい。家族や友人知人に「すごい」と言ってもらえる程度の、分相応の注目で満足することである。楽をしていい思いをできる道など世の中にはない。
土田世紀の漫画「俺節」に、確かこんな場面があった(ずいぶん前に読んだきりなので、細部は違っているかも知れない)。デビューを目前にしたロックバンドを率いるボーカルの羽田が、場末の酒場で偶然耳にした流し演歌にしびれてしまい、バンドを解散して頭を丸め、演歌の大御所・北野波平(誰がモデルかは言わずもがな)に弟子入りを志願した。波平の前で羽田に発声をさせてみせたボイストレーナーは「ジャンルは違っても歌は歌だ」と絶讚し、レコード会社のスタッフも「ひとつ育ててみませんか?」と勧めるが、波平は「お断りだね」と一蹴、演歌を歌おうとする動機に問題ありだと言う。抗弁する羽田に波平は
「そんなら、客でいたまえよ。
歌っているより、歌を眺めていたまえよ。」
と言い、羽田が思わず罵声を浴びせようとしたその刹那、波平は顔をずいっと近づけて一喝、
「声なら負けねえぞ!」
このシーンの北野波平は実にかっこいい。私もこのセリフには素直に打ちのめされた。
私は大御所でも何でもないから(よって私にケンカを売って言い負かしたところで、それで学界の風向きががらりと変わって自分になびいてくれるということは期待できない)、波平のまねなどおこがましいことこの上ないが、それは承知でやはり言いたい。「そんなに学界が不満なら、客のままで好き放題言ってたらどうです? 自分で研究をするより、研究を眺めている方がよっぽど気楽ですよ」と。
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コメント
こちらでいう自称研究者は
かなりのモンスターな自称研究者の
方についてのことでしょうが
論文を送りつけてくる自称「研究家」
はそんなに多くいるんでしょうか?
無視しないで説明してあげればと素朴に思ったりします。
山のようにそういった人がいるなら
いちいち対応できないでしょうけど。
>皮肉やほめ殺しで体よくあしらうことが多い。
プロにむかって素人が俺の演奏を聴いてくれという態度
が問題なのか演奏技術が幼稚なのが問題なのか
どっちなのでしょう?一般の研究家はたんに学界のルールを
知らないだけかもしれません。
それを皮肉やほめ殺しなんて態度を返された方が
反感をかうのは当たり前でですよね。
>楽をしていい思いをできる道など世の中にはない。
これについては楽をして評価されてるかたも
いくらでもいますのでだからこそ
困った状態なのではと思います。
投稿 FX | 2008年3月28日 (金) 11時55分
FX 様
>論文を送りつけてくる自称「研究家」
>はそんなに多くいるんでしょうか?
これは分野によります。私の専門である中国古代文学ではそれほど多くありませんが、隣接分野である日本古代文学や日本古代史にはたくさんいます。
>無視しないで説明してあげればと素朴に思ったりします。
そう思われるのはもっともなことですし、そのようにできればそれに越したことはありません。しかし丁寧に説明などしようものならとんでもない泥沼にはまってしまう、困った相手が多いのが実情です。過去のエントリー
「角の三等分屋」への対処法に学ぶ
http://puzhai.cocolog-nifty.com/zazhi/2007/05/post_c700.html
「トンデモ原論」――人文系の「ニセ科学」対策
http://puzhai.cocolog-nifty.com/zazhi/2006/11/post_7c05.html
にその辺の事情を書いていますので、併せて御覧いただければ幸いです。
>プロにむかって素人が俺の演奏を聴いてくれという態度
>が問題なのか演奏技術が幼稚なのが問題なのか
>どっちなのでしょう?
これは多くの場合両方です。技術がまるでないのに自分は天才だと思いこんでしまった人は、往々にして尊大な態度になるものです。
>それを皮肉やほめ殺しなんて態度を返された方が
>反感をかうのは当たり前でですよね。
どんな説明の仕方をしてみたとて、反感は必ず買われます。相手は自説を認めてくれない限り満足しないのですから。それなら懇切丁寧な説明など骨折り損で、いきおい皮肉を言ってさっさと終わらせたいということになるわけです。
そもそも論文を評価するには、隅々まできっちり読み込んだ上で、引かれている資料が誤っていないか、解釈が妥当かどうかなどを一つ一つ検証していかなければなりません。小説を斜め読みするのとはまるで訳が違うのであって、はた目から見る以上に大変な労力を要します。箸にも棒にもかからない駄作だったら、最初の数ページで判断はついてしまいますが、それを膨大な時間を割いて、最後まで丁寧に読むのは実にむなしい作業です。読まなければならないもっと有用な本は他にたくさんあるのですから。
>これについては楽をして評価されてるかたも
>いくらでもいますのでだからこそ
>困った状態なのではと思います。
プロの研究者にも楽をしている人は確かにいます。しかしそういう人は高くは評価されず、陰口をたたかれているのが普通です。まして今は大学間の競争があおられる時代ですから、論文も書かず毎日碁を打って暮らしているような大学教授は、ますます居心地が悪くなっていくことでしょう。
なお念のために補足しておきますが、アマチュアの研究家の中にも、努力を積んで立派な業績を上げている方はおられます。そういう方はそもそも学界に対して不満など言いませんし、プロの研究者とも互いの立場を尊重し合って良好な関係を築いているものです。本稿で言う自称「研究家」に、そうした方を含んでいないのはもちろんのことです。
投稿 朴斎 | 2008年3月29日 (土) 01時22分
返事をありがとうございました。
感謝いたします。
投稿 FX | 2008年4月24日 (木) 16時35分