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2008年3月 9日 (日)

画面を離れよ、紙に出よう。――情報カード今再び―― (1)

 このタイトルが何のもじりかは、ある程度以上の年代の方ならすぐにおわかりのことと思うが、別にブログやHPをやめる宣言をしようというわけではない。前のエントリーで京大型カードに蓄積された院生時代の講義の記録を再発掘した話をしたが、せっかくの「財産」を10年以上埋もれたままにしていたのは何とももったいないことで、これを死蔵させずに活用できていたら、少しは偉くなれていたかも知れないと、悔やまれてならなかった。それ以後情報カードシステムのことが改めて気になりだしたのである。

■情報カードシステムとは

 情報カードシステムについてご存じない方のために簡単に説明しておくと、B6判のカード1枚につき1項目で情報やアイデアを書きためていき、後でカードを繰って一つのテーマに関連のあるものを抜き出し、それらをもとに論文を書いたり、一見無関係なカードの組み合わせから思わぬ新たな発想を得たりすることを目的としたシステムのことである。もともと京大人文研の共同研究の場で本格的に用いられるようになったもので(「京大型カード」という名もここに由来する)、梅棹忠夫氏がこれを改良して『知的生産の技術』(岩波新書、1969年初版)で紹介してから一般にも広まった。パソコンもワープロもなかった時代には、この方法はまさに最先端の情報整理法であり、私もこれに影響されて、講義のノートや演習の下調べのメモに京大型カードを使うようになったわけである。

■パソコンの落とし穴(1)――技術的な問題――

 そのカードを使わなくなったのは、パソコンを導入してからである。パソコンは検索が一瞬でできるという強みがあるのだから、ありとあらゆる情報をパソコンに放り込んでおけば、いつでも自由に取り出せる……はずであった。ところが優に二千枚を超えるカードの情報をすべてパソコンに入力するというのは、大変根気のいる仕事である。しかも私の専門である中国関係の場合は、JIS表外字が山ほど出てくるし、当時のWindows3.1やWindows95では、そうした文字を正確に検索できるようにしようと思えば、外字で処理するしかなかったから、それらをいちいち作字して入力するのは今よりももっと大変な作業であった。日常の業務や研究をやりながらこの単純作業をするというのは、専門の秘書でも雇わない限りとてもできたものではないし、そんな人件費を出してくれるほど太っ腹な大学は、少なくとも日本には存在しない(科研費が当選すれば別だが、いつも当たるわけではない)。かくてカードの情報は机の引出しの中で眠ってしまうこととなった。

 ではそれ以後に得た情報はきちんとパソコンに入れて活用できていたのかというと、これにもいくつかの落とし穴があった。たとえばデータの形式は必要に応じて様々に変わる。ワープロソフト一つにしても、Microsoft Works→WXWORD (もう知る者も少なくなったことであろう。当時は他にも「織姫」やら「オーロラエース」やらといったマイナーなワープロソフトが数多くあった。)→Microsoft Word と乗り換えてきたし、テキスト形式なら汎用性に富むけれども、何でもかんでもテキストだけで済ますというわけにはなかなか行かない。特に日本語と中国語の文を混在させなければならない場合などは、Unicodeが普及するまではワープロソフトを使うよりなかった。こうなるとファイルの種類を越えた横断検索は非常に難しくなる。

■パソコンの落とし穴(2)――心理的な問題――

 そしてこれまで見過ごされがちであった最大の落とし穴は、パソコンで情報を処理しようとすると「つい遊んでしまう」 ということである。

 パソコン初心者で、仕事以外ではパソコンに触るのもいやという人なら、必要な時だけ電源を入れ、一通り仕事をやったらすぐ電源を切るという使い方になるだろうから、このような問題は起こりにくい。

 ところがヘビーユーザーになると、パソコンそのものの「楽しみ」まで知ってしまうことになる。作業環境改善のために便利なオンラインソフトを探したり、設定をいじったりするのも楽しみになる。果てはトラブルで仕事がストップしても、自力でいろいろ調べて解決するのが、苦しみであると同時に楽しみにもなったりするから、こうなるともう「病膏肓に入る」である。

 その上ネット上には面白い情報が大海の如く広がっている。だから電子文献の検索をするつもりが、終わってからふと思い出した無関係な単語、たとえばニュースに出てきた、名前だけで顔や活動内容を知らない芸能人が突然気になったりすると、それもついでに調べ、そこに出てきた情報の中の別の単語がまた気になりだして調べ……という具合に、 油を売ることが多くなってしまうのである。

 それでも雑学はいろいろと仕込めるのだから、全く時間の無駄遣いというわけではないけれども、そうした「雑学」もただ漫然と眺めているだけで、そこから直ちに生産的な行為へつながっていかないことがほとんどである(長い目で見れば、忘れた頃に役に立つこともあるだろうが)。これは人にもよるだろうが、少なくとも私はそうである。仕込んだ雑学をもとに何か書いてみようと思っても、つい後へ回してしまって、時期を逃したり忘れてしまったりということが多い。パソコンの導入で、「検索」の便は確かによくなったが、得られた情報を活用して創造的な行為をする上では、パソコンはかえって効率を悪くすることもある。 それに気づかせてくれたのが、パソコンによって隅に追いやられたはずの、原始的な紙のカードだったわけである。(つづく)

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