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2009年2月18日 (水)

「ゴミの山を調べる暇など無いのだ」

 大学院生向けの論文指南の名著・酒井聡樹『これから論文を書く若者のために』(共立出版、 2002年)に、こんな一節がある。

 ではなぜ(自費出版やHP上の論文は)研究成果として認められないのか。それは、 価値の無い論文が氾濫することを防ぐためである。誰でも好き勝手に論文を発表できるのならば、 中身のない論文や独りよがりの論文が世界中にあふれてしまう。これでは、価値のある論文を見つけ出すのが大変である。時間は有限、 貴重な時間を費やして、ゴミの山を調べる暇など無いのだ。
 学術雑誌に掲載されていること。それは、その学術雑誌の編集部が、 その論文の価値を保証しているということであり、研究成果として認めているということである。 私たちは、編集部のお墨付きを信用して、限られた読書時間の一部をその論文を読むことにあてる。もちろん、 学術雑誌に掲載されている論文すべてが、本当に価値のあるものとは限らない。真の価値判断は、読者自身が行うべきものだ。 本審査の前の予備選考を学術雑誌の編集部に任せているといった方がよい。(pp.14-15。赤字の強調は筆者、 黒字の強調は原文による。) 

 「ゴミの山とは何だ! 大学はこんな偏見を学生に植え付けているのか!」と怒りに震えている自称「研究家」もいることであろう。しかし残念ながら、これが大方の研究者の認識なのである。酒井氏や私に怒っても仕方がない。

 ここで立場を逆にして考えてみよう。たとえばあなたがルイ・ヴィトンのバッグや財布を買いたいとする。どこへ買いに行くだろうか。

  1.  ルイ・ヴィトンの正規店
  2.  道ばたの露店

 ほとんどの人は1を選ぶであろう。正規店で売っているのはまず間違いなく本物であり、値は張ってもそれを上回る安心が得られるからである。

 2を選んだ人は「ひょっとしたら掘り出し物を安く買えるかも知れない」と期待しているのだろうが、骨折り損のくたびれもうけに加えて、安物買いの銭失いになる可能性大である。どこにあるともわからない露店を探し回るのも時間の無駄だし、運良く見つかったとしても、店の素性もわからなければ、売っているものが本物かどうかも極めて怪しいのだから。恋人に「露店で見つけた掘り出し物だよ」と言ってヴィトンをプレゼントするのは、ほぼ間違いなくふられることになるのでやめた方がよい。

 ではあなたが質のよい論文を探そうとすればどこを見ればよいだろうか。もうおわかりであろう。学術雑誌、または定評のある学術出版社から出版された専門書を見るのが、最も確実にして効率のよい方法だということを。自費出版本やHPに注目してくれ、信用してくれというのは、あたかも露店で売っているバッグの山から本物のヴィトンを探してくれと要求するようなものなのである。そんなことをしなくても、ヴィトンの正規店へ行けば確実かつ効率よく本物を買えるのだから、本物をほしがる人がそちらへ行くのは理の当然であろう。

 ところで酒井氏も「学術雑誌に掲載されている論文すべてが、本当に価値のあるものとは限らない。 真の価値判断は、読者自身が行うべきものだ」と書いている。学術雑誌や専門書を見ても、ババをつかんでしまうことも稀にはある。すると勢いづいて「だから自費出版本もちゃんと見ろと言っているのだ」と言う慌て者が必ず出てくるが、残念ながらそういう理屈は成り立たない。たとえババをつかむごくわずかな危険性があっても、学術出版でよい論文を探す方が、自費出版本でよい論文を探すよりも時間を無駄にしないことには変わりないのだから。

 専門家も常に正しいとは限らない。酒井氏は謙虚にそれを認めている(もちろん私も認めている)。しかしそれは 「素人が常に正しい」ことを意味するのではない。素人も常に正しいとは限らないし、しかも専門家より間違う確率は高い。「専門バカにもなれないのはただのバカだ」という数学者・小平邦彦の名セリフもある。これを忘れてしまうと、酒井氏のこの文の趣旨も我田引水に読み誤ってしまうことになるだろう。

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