PoIC

2008年3月 9日 (日)

画面を離れよ、紙に出よう。――情報カード今再び―― (5)

■アナログな時間を取り戻すために

 最初にも述べたように、私がカードシステムを復活させたいと思った動機の一つは、パソコンの前で漫然と空費する時間を減らしたいということであった。実際にカードを使ってみて20日ほどになるが、携帯メモでアイデアを捕まえてカードに定着させる作業が楽しくなってくると、作業を快適にするために道具を調えて、机周りをきれいにしようという意欲も出てくる。梅棹式の知的生産術を几帳面にやっていた頃の感覚が戻ってくるような感じといったところだろうか。そうすると仕事自体への意欲も出てきて、仕事や生活の密度が濃くなってきたように思う。テクノ依存症に悩む方には、ぜひ今一度「紙」に戻ってみることをお勧めしたい。

 パソコンを離れてカードに向かうための、ちょっとした工夫をここで紹介したい。

その1 パソコンを立ち上げる前にカードに向かう

 仕事場に着いたら、パソコンを立ち上げる前にカードに向かい、 携帯メモの内容を転記する。転記しているうちにさらに新たなアイデアがどんどん浮かんできたらしめたものである。パソコンを立ち上げた後ではなかなかこうはいかない。これをやってみてわかったのは、パソコンの動作音がいかに知的作業への集中を妨げていたかということである。読書をする時もパソコンの電源を落としてしまった方がよいかも知れない。

その2 「本日の予定」をいの一番にカードに書き出す

 「超」整理手帳などを見ながら、その日にやっておきたい予定をカードに書き出し、パソコンのそばの目につく所に掲示しておく。走り書きではなく、きちんとしたカードでやるべき仕事が目の前に掲示されていると、自分にプレッシャーをかける効果は意外に大きい(そのうち慣れるかも知れないが)。やり終えた作業にはチェックを入れ、やり残した作業には△印をつけておく。書き終わったカードは他のカードと一緒に時系列で収納しておく。

その3 パソコンを離れたすきにアナログ作業

 パソコンを立ち上げた後では、カード書きなどのアナログなデスクワークは、トイレに立ったり、食事をしたり、来客の応対をしたり等でパソコンの前を離れた間に取りかかってしまうのがよい。それに慣れてきたら、メモっておきたいアイデアが浮かんだときに、すぐさまパソコンの前を離れてカードに向かうという体の動きも、自然にできるようになってくるであろう。

■カードは作業着手への抵抗を軽減する道具

 野口悠紀雄氏は「仕事の全行程の中で一番難しいのは、『始める』ことだ」(『「超」手帳法』pp.70)と言う。一旦始めてしまえば、後はどんどん作業を進められるが、最初に始める時にはどうにも手がつかないことが多いというのである。そこで野口氏は電車の中などのいつもと違う場所で、とりあえず最初のところだけ手をつけてしまい、後は仕事場で作業を続けるという方法を提案している。

 ところがパソコンという道具は、いざ作業にかかろうとすると、電源を入れてソフトを起動する間にどうしてもワンクッション置くことになってしまい、他のことを先にやってしまって本来の仕事は結局手につかないまま、ということが多々ある。つまり「着手抵抗」が非常に大きい道具なのである。

 その点カードは思い立ったらいつでもすぐ書けるのが最大の利点であり、 「着手抵抗の軽減」という点では極めて効果的な道具といえる。野口氏も紙の「抵抗の少なさ」はもちろん認めていて、アイデア捕捉にメモを取ることを勧めているが、それ以後の作業は一切パソコンでやってしまった方がよいとしている(『「超」整理法』 pp.194、『「超」手帳法』pp.131)。知的生産はカードでやるよりも、パソコン上でやる方が効率がよいからというのがその理由であり、私もつい最近までそう思っていたのであるが、少なくとも文学研究のような分野では、アナログ作業の最たるものである読書が重要なウェイトを占めるのであり、カードによるアナログ的知的生産も、決して有効性を失ってはいない。それなら「着手抵抗の軽減」に絶大な効果のあるカードを最大限に生かすことを考えた方がよいのであって、着手したテーマに関するカードがある程度たまって、 作業への抵抗がなくなってきたら、そこで初めてパソコンに移って文章に仕上げるのが、紙と電子データを有効に結びつける方法ではないかと思う。

■いつでもやめられるのもカードの利点

 それにカードはもし書いてみて効果がなさそうだとわかったら、休止するのも廃棄するのもさほどの抵抗にはならない。カードシステムは電子機器やソフトウェアに比べればはるかに安価で、捨てたければ可燃ゴミや故紙で気軽に出せるのだから。気軽にやめられるということは、即ち気軽に始められるということでもある。

 そういう意味でも、初めてカードシステムに取り組む場合は、最初から高価な道具をそろえずに、 身近なものや廃物を利用してやってみるのがよいと思う。道具を工夫すること自体が楽しみになるし(しばらくはそれに時間を取られっぱなしになるという副作用もあるが)、自分で作った道具には愛着もわくから、長く続けるための原動力にもなるであろう。

■おわりに

 これまで紹介してきたカードシステムは、あくまで私の仕事や環境にカスタマイズされたものである。本家PoICのHPや、本文中に引用した文献などを参考にしながら、自分なりのシステムを考えていただければと思う。私自身もカードを復活させてからまだ日が浅いことでもあるから、今後もいろいろ改良を加えていくかも知れないし、あるいは「やっぱりやーめた」となってしまう可能性もないとはいえない。

 本稿はカード復活後の成果第1号であるが、400字詰め原稿用紙にして36枚の分量がある。そのもとになったカードは26枚、それを頼りに文章に仕上げるのには2日しかかかっていない(カードを取った日付には当然もっと幅があるけれども)。これほどの量の文を一気呵成に書き上げられるとは予想もしていなかったし、もちろん初めての経験である。一からパソコンに向かって書き始めていたら、こうはいかなかったに違いない。

 学術論文ならこう簡単にはいかないだろうが、論文にするのに必要なカード枚数の目安や、それを組み立てて文章に仕上げるノウハウは得られたわけだから、それだけでも十分な成果はあったといえるだろう。

 「パソコンを前にしてもどうも仕事がはかどらない」という研究者、あるいはクリエイティブな職業の方々に、本稿が少しでも役立つことがあればと切に願う。(了)

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画面を離れよ、紙に出よう。――情報カード今再び―― (4)

■携帯メモ

 知的生産の技法は数あれど、それを継続する上で最大のネックとなるのは、アイデアやひらめきの捕捉にあるといえよう。知的生産の技法を説く本は、ほとんどメモ取りをこまめに実行することを説いている。梅棹忠夫氏は常時カードを携帯して、メモ取りもカードでやってしまうし(『知的生産の技術』pp.53)、野口悠紀雄氏は家中に反故紙の束を置いておいて、どこでもメモが取れる状態にしているという(『「超」整理法』pp.196)。ところがいざこれを実行しようとするとなかなか難しいのである。

 理由の一つとして、自分に合ったうまいメモ用具がなかなか見つからないことが挙げられる。携帯に便利で、どこで取り出しても苦にならず、書いた後でカードなりパソコンなりに内容を移し替えやすいものが理想だが、そのようなものがなかなか見つからず、試行錯誤を繰り返す羽目になる。

 そしてもう一つの理由は、メモを取る動機付けである。普段クリエイティブな仕事をしない人が、「なんか役に立ちそう」といった気持ちでいきなりメモ取りを始めても、なかなかうまくいかないであろう。「こんなことをして何にどう使えるのか」ということが自分の中でイメージされていないからである。もしこれまでに多くのアイデアやひらめきをみすみす逃がして、悔しい思いをした経験があるなら、その悔しさがメモ取りを続ける原動力になると思う。

 PoICでもそのあたりの事情への配慮はちゃんとされていて、カードは基本的に机の上で書くこととして、それ以外の場所で浮かんだアイデアを捕捉するために、野帳を持ち歩くことを勧めている。野帳はフィールドワークをする研究者や学生にとっては必須の道具で、硬い紙の表紙がついた、ポケットサイズの手帳である。表紙が硬いから野外で立って書くのに都合がよいし、実売120~140円と安価なのもありがたく、研究者以外の人にも携帯メモとして愛用する人が多い。

 私も学生の頃には、旅行に出るときには必ず野帳を持ち歩いて、旅程やら使った旅費やら、車窓から目についた風景などを克明に記録していたものである。おかげで列車に乗り合わせた年輩の乗客から、俳句の吟行と間違えられたこともある。しかし1995年頃から「超」整理手帳を使うようになると、野帳を持ち歩くこともなくなり、そして旅行の記録をつけることもなくなってしまった。今思えば惜しいことをしたものである。

 野帳の使い勝手の良さは捨てがたいものがあり、今回もカードとともにまた使ってみることも考えたが、これにはネックがあった。背広のポケットならまだしも、ワイシャツのポケットに入れるにはやや大きすぎるし、重すぎることである。

 私は夏場は基本的に上着を着ない。環境省が大々的に音頭を取るずっと前からクールビズをやっていたわけだが、そうするとポケットが少なくなるのが問題になる。しかもワイシャツの胸ポケットに物を入れると、肩が凝ってしまう。だから定期入れはズボンの前ポケットに入れている。見栄えは少々悪くなるが致し方ない。野帳もワイシャツのポケットに入れようものなら、確実に肩が凝って仕事に障るのである。

 そういう事情があるので、私にとっての携帯メモの条件は、

1.軽量
2.胸ポケットに収まる
3.筆記具を同時に携帯できる

ということになる。十年来愛用している「超」整理手帳は、スケジュールノートやA4プリントアウトのホルダーとしては非常に具合が良く、手放せないものだが、携帯メモとして使うには大きすぎるし重すぎる。何か思いついたらいちいちカバンから取り出して開くというのは、メモ取りという目的にはふさわしくないのである。

 「超」整理手帳もこのような声に応えて、最近ではA7判の「アイデアメモ」 を付属させるようになっている。これは薄型で軽量の、方眼が印刷されたメモ帳で、普段は「超」整理手帳に入れておき、必要に応じて手帳から取り出して別に持ち歩くというものである。これならワイシャツのポケットに入れてもあまり気にならないので、条件1.と2.は十分満たしているが、実はまだ問題がある。

 まず一つには「超」整理手帳本体からの出し入れが意外に面倒で、なかなか習慣づけられないこと、二つには表紙が軟らかいので立ったままで書くのに不便であること、三つには筆記具と一緒に持ち歩きにくいことである。

 この欠点を克服して利点を生かすには、軽くて機能的なカバーをつけることが考えられる。「超」整理手帳関連用品を売っているサイト「ノグラボストア」(リニューアルのため3月末で閉店)では、一流メーカーの革製A7カバーがいくつも出ているが、さすがに高価で手が出にくい。

 そこで職場で配布された手帳のカバーや、コレクトなどから出ている5×3カードホルダーを流用することも考えたが、幸い古くなった「超」整理手帳カバーを取ってあったので、これを改造することに落ち着いた。改造といっても大げさなことではなく、5×3カードがはさめる大きさになるよう上部を切断し、そうすると上辺のポケットの口が開いてしまうので、ビニールテープで止めただけである。とりあえずこれにA7メモと手帳用シャープペンシルをはさんで使ってみて、具合が良ければ本格的なカバーの購入も考えることにした。

 今の季節はコートを着るから、コートのポケットに入れて持ち歩くことにしたが、どこでもさっと取り出せて書けるというのはやはりすばらしい。急ごしらえのカバーとはいえ、使い勝手は意外に悪くないので、当面はこれでいろいろ試してみるのが良さそうである。A7ちょうどにせずに5×3サイズにしておけば、 余った部分をいろいろ活用することも考えられる。たとえば小型のUSBメモリーをマジックテープで貼り付けておくという工夫もあるだろう。気軽に細工ができるのが廃物利用のいいところである。
 (メモと一緒に持ち歩くなら、USBメモリーよりもSDカードやCFの方が薄くて具合がよいが、マジックテープを貼るとカードリーダーのスロットに入らなくなってしまうから、ちょうどおさまる大きさのポケットを工夫して作ってやる必要がある。)

 A7メモは「必要な時に手帳本体から切り離す」というのが本来のコンセプトであるが(『「超」手帳法』pp.136)、発想を逆転させて「必要な時だけ手帳本体に収納する」 ことにした方がよさそうである。会議などでは日程確認の必要から「超」整理手帳を必ず持参するので、その時にA7メモもカバーを外して、手帳にはさんでしまえば、どちらに書くか迷わなくて済む。

 A7メモの成功に気をよくして、家の寝室にもロディアNo.11のメモ帳を置いてみたら、これも結果は上々であった。書いたメモは出勤する時にちぎってA7カバーにはさんでおき、職場に着いたらA7メモに書いたメモと一緒にカードに転記するようにしている。転記が終わったメモにはチェックを入れておき、不要になったメモの紙は裏側を再利用すればよい。これまでみすみす逃してきたアイデアががっちり捕捉できるようになってくると、ますますメモ書きが面白くなってくる。 (つづく)

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画面を離れよ、紙に出よう。――情報カード今再び―― (3)

■カードと筆記具

 PoICに高価な道具は必要ない。 極端な話、紙とペンと箱さえあればすぐにでも始められる。しかし使い勝手の悪すぎる道具だと、カードを書くのがだんだん億劫になってくる。それでいくらもしないうちにやめてしまうのでは面白くない。

 そこで最も基本的な道具であるカードと筆記具は、使い勝手のよいものを慎重に選びたい。しかしこれも万人にお勧めできるわけではなく、最終的には自分に合ったものを見つけ出すしかないのではあるが、参考までに私の使っているカードと筆記具を紹介したい。

カード
 まずカードは既に述べたとおりB6判の「京大型」である。京大型カードはコレクトライフコクヨの3社から発売されているが、それぞれ罫線や穴の有無によっていくつかの種類がある。私が現在使っているのは大学生協のキャンパスカード(厚口)であるが、これはコクヨの「シカ-13」(8.5ミリ罫)とほぼ同等品で、しかもコクヨよりずっと安い。表は青色の8ミリ罫、裏は5ミリ方眼である。どちらの面を使うかは好み次第だが、両面同時に使うのはやめた方がよいであろう。また左端に二つ穴があり、これを綴じるためのバインダーも各種ある。梅棹氏は「穴があるとカードの有効面積が減るし、書くときにもリングが邪魔になる」という理由で、穴を開けることを否定しているが(『知的生産の技術』pp.53)、私は講義や講演の記録を取るときなどは、穴あきカードをバインダーに綴じて持って行くのが便利だと思う。カードを次々とめくって書くには、バインダーの方が素早くめくれるし、手が滑ってバラバラに飛び散ったりする心配もないからである。それに穴のある部分はマージン罫になっていて、日付以外書き込まないことが多いから、実際には有効面積はさほど減らない。

 8.5ミリ罫では幅が狭すぎるという人は、ライフの京大型カードなら9.5ミリ罫である。ライフのものは梅棹氏オリジナルの京大型カードに最も近い設計のようで、穴も開いておらず、裏面には何も印刷されていない。インクの吸い込み具合は生協のものより若干良いように思う。これ以外のものは使ったことがないので、評価はしかねるが、最初はいろいろ試してみて、気に入ったものが見つかってから大量に買い込むのが無難であろう。

筆記具
 次に筆記具であるが、私は万年筆党である。筆圧をかけなくても書けるから、大量の書き物をしても疲れないし、書いた後のインクの微妙な濃淡やにじみは捨てがたい魅力がある。

 院生の頃にカード書きに使っていたのは、ロットリング社の「デザインペン」で、ペン先はFである。本来はその名の通りイラストやカリグラフィーに用いるための、つけペンのような長い柄を持つ万年筆で、この柄の中には予備のインクカートリッジを入れておけるようになっている。これは大学生協で見かけて、それほど高くもなかったので何となく買ったものであるが、しばらく使っているとすこぶる書き味がよくなってきて、お気に入りの一品となった。これもカードを書かなくなってからお蔵入りになっていたが、今回カードを復活させるに当たって、ペン先を流水で洗ってから一晩ぬるま湯につけておいたら、見事よみがえった。今は研究室で使っているが、自宅用にももう一本ほしくなり、調べてみたら「アートペン」と名を変えてまだ売られていたので、早速注文して手に入れた。おろし立てだと書き味がまだかたい感じがするが、そのうち程よくすり減って、書き味も良くなることであろう。カードはもともと罫の間隔が広いから、ペン先の太さはFかMあたりがちょうど良いと思う。

 万年筆を使うにはインクが必要である。ロットリングの万年筆には専用のインクカートリッジもあるが、「デザインペン」を使っていた頃には、モンブランのインクカートリッジを入れていた。こちらの方が専用インクより安いし、紙へのしみこみが早いので、カードを次々と書いて重ねていくには具合がよい。今回買った「アートペン」には専用カートリッジが5本おまけでついてきたので、それを入れてみたが、インクの乾きが非常に遅く、吸い取り紙がないと使いにくい。次に入れるインクはモンブランにした方が良さそうだ。本格派の方は専用のコンバーターもあるので、瓶入りインクを使うこともできる。

 なお「アートペン」を買うと、金属製のペンケースがついてくるので、万年筆のほか本に傍線を引くダーマトグラフなどを一緒に入れて持ち歩くのに便利である。

 ところで地元の文具店でも大学生協でも、この頃モンブランのインクカートリッジが店頭に出なくなった。並んでいるのは国内メーカーのものばかりである。不景気に加えてワープロの普及で、舶来万年筆を使う人も少なくなったのであろうか。(つづく)

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画面を離れよ、紙に出よう。――情報カード今再び―― (2)

■PoIC―― 情報カードの最先端

 パソコン全盛の今日にあって、もはや過去の遺物になったかと思われた情報カード。今でも使いこなしている人はいるのだろうか。そう思って調べてみると、何とより洗練された形に進化した情報カードシステムがあった。それがPoIC(Pile of Index Cards)である。

 PoICシステムの詳細はこちらを御覧いただきたいが、その要点は次の通りである。

5×3判(図書目録カードの大きさ)の方眼カードを用い、京大型カードと同様に1枚1項目で情報やアイデア、記録や行動予定を書き込む。
・カードは「記録」「発見」「GTD (これから行うべき事柄)」「参照」 に分け、それぞれ簡単なアイコンを表題に書き込み、さらに方眼の上端の決まったマス目を塗りつぶしてタグにする。こうすると上からカードの束を見たとき、タグが縞模様になって現れ、検索の目安になる。
・書き上がったカードは分類せず書いた時間順にケースに収納する。後でカードを繰った時も、参照したカードは前に移さず元の位置に戻す。
・ある程度カードが貯まったら、一つのテーマに関するカードを抜き出して、文章を書くのに利用する。それが終わったら、使ったカードはまとめて別のケースにしまっておく。

 このシステムは「知的生産に検索はほとんど必要ない」という認識に基づいて開発されたものである。紙のカードが検索のスピードと正確さでパソコンに劣るのはわかりきったことだから、それならいっそ検索は思い切ってしまい、パソコンにはなかなかまねのできない、カードをランダムにパラパラと繰って思わぬ新発見をつかむことに徹したシステムをめざそうというわけである。

 たとえば目星をつけた古書を1円でも安く買うなら、ネット古書店を検索する方が効率がよいが、予期せぬ掘り出し物を見つけるなら、実際の古書店をあちこち巡り歩く方がよい。 PoICもいわば発見の掘り出し物探しのためのシステムといえるだろう。

■我流PoIC

 PoICでは各人の事情に応じたカスタマイズを積極的に勧めている。もともと扱う情報の質も、情報を整理して何に使うかも、人によって違うのだから、万人にぴったり来る方法というのはない。だからPoICの基本理念を理解した上で、それに杓子定規にこだわらず、自分に合った方法を開発すればよいわけである。本居宣長のいわゆる「師の説にななずみそ」(『玉勝間』)である。

カードの大きさ
 まず使うカードのサイズをどうするかであるが、PoICで使っている5×3判は、京大型カードのB6判に慣れている私にはやはり狭すぎるように思った。それに当時購入したカードや筆記具、カードを入れるファイリングキャビネットもまだ残っているし、過去に書いたカードも相当数たまっているから、それらとの互換性をむざむざ捨てるのはもったいない。そこでまずこれらの眠っていた品々を流用することから始めてみることにした。

タグとアイコン
 これから新規に書くカードは、PoICと同様に「記録」「発見」「予定」(本家PoICでは「GTD」だが、英略語は好みではないので変えた)「参照」のタグをカードの上端につける。 大学生協で売っている京大型カードは、表面は8.5ミリの罫線だが、裏面は方眼になっているから、この方眼を使えばタグをつけることができる。但しアイコンは書かない。 私はもともと図表やイラストを描くのがあまり好きではないので、簡単な意匠とはいえ、いちいちアイコンを書き込むことにすると、そこで筆迷いが生じて思考がストップしてしまう恐れがある。そこで当面アイコンは書かないでやってみることにした。もしそれで不都合が生じたら、書き込む習慣をつけるよう練習すればよいことである。

 またタグの4区分も、PoICのHPに説明はあるけれども、やってみると曖昧なものも結構出てくる。分類しようとするとどっちつかずなものが出てくるという現象を、野口悠紀雄氏は「こうもり問題」と呼び、これを解決する究極の方法として、分類を一切せずひたすら時間順にファイルを並べる「『超』整理法」 を発案した(『「超」整理法』、中公新書、1993年)。PoICもこの理念を応用して、書いたカードは時間順に並べて収納することになっている。タグの4区分はカードを繰る際の目安にするだけであって、これによってカードを分類して配列するわけではないから、1枚のカードに2つ以上のタグがついていても、別に困ることはなかろう。 たとえば原典からの引用を書いた後、それについて気づいたことを書き加えたような場合なら、「発見」「参照」両方のタグをつけてしまえばよい。

日付と時刻
 書き終わったカードは日付を入れ書いた順に並べて収納する。カードに日付を入れるのは、京大型カードを開発した梅棹忠夫氏も言っていることで(『知的生産の技術』pp.56)、私も習慣づけていたが、 PoICでは日付に加えて時刻も分単位で書き込むことを提唱している。これによってカードを並べる順番が確定され(同時刻に2枚書き上がるということはまずない)、カードを外に出してから元の場所に戻すのも容易になるというわけだが、これを実行するのはかなり面倒くさい。机の上で書くなら常に時計がそばにあるが、外で書くような場合、たとえば講演を聴きながら次々とカードを書いていくような場合に、いちいち時計を見て時刻を書き込むというわけにはいかない。完璧に時系列で並べるという理念は、利便性と天秤にかけて、あえて捨てることにした。

 一方以前に書きためたカードについては、当面はそのままで新規のものと別に並べておき、もし参照したり利用したりした場合には、タグをつけて時系列配列の中に編入することにした。

参照
 あるカードの記事をもとにして、別のカードを新たに書いたような場合には、元のカードを参照するよう指示を入れておくと便利である。このような場合、PoICでは参照先カードの日付と時刻を入れておけば、それで参照するカードが特定されるとしている。しかしカードに時刻を書き入れなければ、この方法は使えない。そこで私は参照先カードの日付と、カードのタイトルの最初の3字を代わりに書くことにした。これでも今のところ参照先カードの特定は十分にできている。

復活させてみて
 このような方法でカードシステムを復活させてみたが、結果は上々であった。10年以上のブランクがあっても、体はちゃんと覚えているものである。ひらめきをカードに書きとめ、それを元にアイデアを練るという知的生産が、再び軌道に乗り始めたのである。現にこの記事も、復活後に書きためたカードを元に書いている。

 もし過去にカードシステムを導入した経験があって、取ったカードも蓄積されているというのであれば、まずそれをPoIC風に味付けして復活させることから始めてみるのがよいと思う。しかしカードシステムそのものが初めてという人なら、京大型よりも5×3判の方が始めやすいかも知れない。特に文章を書き慣れていない人には、B6の大きさは広すぎて、何を書けばよいのか戸惑ってしまったり、何とかカードを埋めなければという強迫観念にとらわれて、何も書けなくなってしまうことも考えられる(実際にはカードをきっちり埋めなければならないという決まりはない。1枚のカードに1行、1字でも構わない)。まずは5×3判カードで身近なこと、たとえば一日の行動なり、ガソリンや食料品の値段なり、見たテレビ番組の感想なりを何でも記録して、カード自体に慣れるというのが、カードシステムの入り口としては最適であろうと思う。

 カードに慣れてくると、 次々とアイデアが浮かんでくるようになるが、その多くは仕事に直接関係のないものばかりということもある。自分の関心が那辺にあるか如実にわかるから、それはそれで面白いけれども、仕事に関係のあるアイデアが出てこないとやはり不安になるかも知れない。

 しかしそれも一向に構わないと思う。自分のHPやブログに載せるなり、軽い読み物やエッセイを頼まれたときのネタにするなり、活用法はいろいろある。この作業に慣れておけば、本来の仕事に興が乗ってきた時にも役立てられるはずである。(つづく)

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画面を離れよ、紙に出よう。――情報カード今再び―― (1)

 このタイトルが何のもじりかは、ある程度以上の年代の方ならすぐにおわかりのことと思うが、別にブログやHPをやめる宣言をしようというわけではない。前のエントリーで京大型カードに蓄積された院生時代の講義の記録を再発掘した話をしたが、せっかくの「財産」を10年以上埋もれたままにしていたのは何とももったいないことで、これを死蔵させずに活用できていたら、少しは偉くなれていたかも知れないと、悔やまれてならなかった。それ以後情報カードシステムのことが改めて気になりだしたのである。

■情報カードシステムとは

 情報カードシステムについてご存じない方のために簡単に説明しておくと、B6判のカード1枚につき1項目で情報やアイデアを書きためていき、後でカードを繰って一つのテーマに関連のあるものを抜き出し、それらをもとに論文を書いたり、一見無関係なカードの組み合わせから思わぬ新たな発想を得たりすることを目的としたシステムのことである。もともと京大人文研の共同研究の場で本格的に用いられるようになったもので(「京大型カード」という名もここに由来する)、梅棹忠夫氏がこれを改良して『知的生産の技術』(岩波新書、1969年初版)で紹介してから一般にも広まった。パソコンもワープロもなかった時代には、この方法はまさに最先端の情報整理法であり、私もこれに影響されて、講義のノートや演習の下調べのメモに京大型カードを使うようになったわけである。

■パソコンの落とし穴(1)――技術的な問題――

 そのカードを使わなくなったのは、パソコンを導入してからである。パソコンは検索が一瞬でできるという強みがあるのだから、ありとあらゆる情報をパソコンに放り込んでおけば、いつでも自由に取り出せる……はずであった。ところが優に二千枚を超えるカードの情報をすべてパソコンに入力するというのは、大変根気のいる仕事である。しかも私の専門である中国関係の場合は、JIS表外字が山ほど出てくるし、当時のWindows3.1やWindows95では、そうした文字を正確に検索できるようにしようと思えば、外字で処理するしかなかったから、それらをいちいち作字して入力するのは今よりももっと大変な作業であった。日常の業務や研究をやりながらこの単純作業をするというのは、専門の秘書でも雇わない限りとてもできたものではないし、そんな人件費を出してくれるほど太っ腹な大学は、少なくとも日本には存在しない(科研費が当選すれば別だが、いつも当たるわけではない)。かくてカードの情報は机の引出しの中で眠ってしまうこととなった。

 ではそれ以後に得た情報はきちんとパソコンに入れて活用できていたのかというと、これにもいくつかの落とし穴があった。たとえばデータの形式は必要に応じて様々に変わる。ワープロソフト一つにしても、Microsoft Works→WXWORD (もう知る者も少なくなったことであろう。当時は他にも「織姫」やら「オーロラエース」やらといったマイナーなワープロソフトが数多くあった。)→Microsoft Word と乗り換えてきたし、テキスト形式なら汎用性に富むけれども、何でもかんでもテキストだけで済ますというわけにはなかなか行かない。特に日本語と中国語の文を混在させなければならない場合などは、Unicodeが普及するまではワープロソフトを使うよりなかった。こうなるとファイルの種類を越えた横断検索は非常に難しくなる。

■パソコンの落とし穴(2)――心理的な問題――

 そしてこれまで見過ごされがちであった最大の落とし穴は、パソコンで情報を処理しようとすると「つい遊んでしまう」 ということである。

 パソコン初心者で、仕事以外ではパソコンに触るのもいやという人なら、必要な時だけ電源を入れ、一通り仕事をやったらすぐ電源を切るという使い方になるだろうから、このような問題は起こりにくい。

 ところがヘビーユーザーになると、パソコンそのものの「楽しみ」まで知ってしまうことになる。作業環境改善のために便利なオンラインソフトを探したり、設定をいじったりするのも楽しみになる。果てはトラブルで仕事がストップしても、自力でいろいろ調べて解決するのが、苦しみであると同時に楽しみにもなったりするから、こうなるともう「病膏肓に入る」である。

 その上ネット上には面白い情報が大海の如く広がっている。だから電子文献の検索をするつもりが、終わってからふと思い出した無関係な単語、たとえばニュースに出てきた、名前だけで顔や活動内容を知らない芸能人が突然気になったりすると、それもついでに調べ、そこに出てきた情報の中の別の単語がまた気になりだして調べ……という具合に、 油を売ることが多くなってしまうのである。

 それでも雑学はいろいろと仕込めるのだから、全く時間の無駄遣いというわけではないけれども、そうした「雑学」もただ漫然と眺めているだけで、そこから直ちに生産的な行為へつながっていかないことがほとんどである(長い目で見れば、忘れた頃に役に立つこともあるだろうが)。これは人にもよるだろうが、少なくとも私はそうである。仕込んだ雑学をもとに何か書いてみようと思っても、つい後へ回してしまって、時期を逃したり忘れてしまったりということが多い。パソコンの導入で、「検索」の便は確かによくなったが、得られた情報を活用して創造的な行為をする上では、パソコンはかえって効率を悪くすることもある。 それに気づかせてくれたのが、パソコンによって隅に追いやられたはずの、原始的な紙のカードだったわけである。(つづく)

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